男はゆっくりと目を開け、それと同時に夢の世界から現実へと引き戻された。
「あ…あれ?」 男の目に、木々の豊かな葉が映る。その葉の間から青空が垣間見れて、光が降り注いでいた。 「土の匂いがする…。」 体を起こし、自分が土の上で寝ていたことを知った。そして、少しずつ昨晩の記憶が蘇ってきた。 幼女を土の中に埋めた女。 男を見つめる、埋められたはずの幼女。 そんな記憶が確かにあるのに、男の体を包み込む澄んだ山の空気が穏やかで、 昨晩のことを幻だと言っている様だった。
「おきた?」
男のすぐ側で幼女の声がした。 ビクッと体を震わせ顔を横に向けた男の瞳に、足を抱えるように座り込んでいる幼女の姿が映った。 幼女は男の方を見ずに、土の上を歩くアリ達の姿を目で追っていた。 男はその姿を数秒の間見つめ、その後、地面に視線を移した。 今、男と幼女がいるこの場所の下には幼女の死体が埋まっている。
<やっぱり夢なわけ、ないよな> リアルな記憶が、男に現実を突きつける。 昨晩、死んだはずの幼女の姿を目の当たりにし、恐怖に襲われた。 男は幼女が土に埋められる場面を確かに見たのだ。 だとすれば、目の前に現われた幼女は、幽霊だと考えるのが妥当だ。 怖がるなという方が無理な話だ。 男は必死で幼女から逃げようと走り、夜の間ずっと林の中を駆け回った。 なのに、どんなに走ってもいつのまにか幼女が埋められた場所へと戻ってきてしまうのだ。 幼女は、絶望的な目を向ける男に、淡々と告げた。 『ここからださない。』 幼女がこの場所に男を閉じ込めていた。 それでも男は諦めずに幼女から逃げ出そうとあがいたが、いつしか力尽き、 結局元の場所で倒れて意識を失った。
<さすがに、この状況にも慣れてきたな> 昨晩散々取り乱したので、現在、男は自分でも驚くほど落ち着いていた。 <…まあ、俺がこんなに冷静でいられるのって別に順応性があるからじゃないんだけどね> 男は苦笑いする。男はこの数ヶ月間、日常とかけ離れた生活をしてきたのだ。
そして、今回の幽霊騒ぎで、いい加減免疫ができてきた。
<とにかく、この子が解放してくれる気にならなきゃ、ここからは逃げられないみたいだしな> 『じたばたしても仕方がない』という結論を出し、男は幼女の横で、再びゴロリと横になった。
サワサワと柔らかい風が緑の葉を揺らす。 鳥達の可愛らしい鳴声を聴いているうちに、こんな状況なのに男の心はのんびりとした時間に包まれていく。
チラリと腕時計に目をやり、男は現在の時刻を知った。 時計はAM8:24を示していた。 <真昼間でも消えないなんて、やけに堂々とした幽霊だな> 男は幼女に目をやり、何だか可笑しくなる。
幼女は相変わらずアリたちからは視線を離さず、口を開いた。 「おじちゃん。おなまえなんていうの?」 「俺はまだ26歳だぞ。おじちゃんってのはキツイ言い方だなぁ。」 男がクスっと笑うと、幼女は男の方へと顔を向け、「何で?」とでも言いたげに首を傾げた。 <ま、小さな子供から見れば、立派なおじさんだよな> 男は観念して、素直に名前を白状した。
「滝川啓太。」 「ふーん。わたしはえみっていうの。」 その言葉を聞いた啓太は、さりげなく尋ねた。 「絵美ちゃんか。そういえばあの女の人、『ごめんね、絵美ちゃん。』って呟いてたな。 …あれは君のお母さん?」 絵美は『お母さん。』という言葉に、小さな体をビクッと固くさせた。
啓太は、このタイミングを逃さずに、自分が抱える絵美への疑問を解決するための 話しの流れを作ろうとした。
「…君をここに埋めたあの女性は、お母さんなんだろ?」 啓太は絵美が座っている地面を指差して、なるべく穏やかな声で尋ねた。
絵美は、一瞬啓太を責めるような目で見つめ、その後肯定せずに黙って俯いていた。 <やっぱり、あの女はこの子の母親なんだな> 啓太は絵美の様子から、そう確信した。
「何があったの?絵美ちゃんは、お母さんに何をされたの?」 啓太が核心部分に触れる質問をした瞬間、絵美は泣きそうな顔を向け、立ち上がった。
「おかあさんは、なにもしてないよ!」 「絵美ちゃん…。」 絵美の興奮した様子を見て、啓太は慌てて体を起こした。 <しまった!> 啓太は自分の配慮のなさを責めた。 昨夜の女の行動からすぐに連想したのは『子供を殺し、それを埋めた母親』ということ。 もしそれが事実なら、自分の言った一言が絵美にとって辛くて残酷なものだと今さらながら気が付いた。
「ごめん。でも…。」 「おかあさんは、なにもしてないもん!だからおかあさんのこと、おまわりさんにいったら ゆるさない!!」
絵美の瞳から涙が溢れ、地面に落ちる。でも、幽霊が流す涙は地面を濡らすことなく 儚く消えてゆく。
啓太はこの時、何故絵美が自分をこの林から出さないのか、その理由を初めて知ったような気がした。
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