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目撃者@

「ええい!いい加減嫌になってきたぞ!」
心底疲れきった顔で、ぶつぶつと文句を言いながら、深夜、山の中を通る国道を歩く男がいた。
年齢は20代半ば、顔は、無精ひげを剃り、乱れた髪を何とかすれば結構いい男かもしれない。
かろうじてサラリーマンのように思えるものの、着ているスーツは薄汚れていて、
とてもじゃないが会社帰りとは思えない。
季節は初夏だが、山の中ともなるとさすがに夜は冷える。歩くことによって体が温められていた。

男は数時間前までは車で国道を走っていたのだが、この山の中でガス欠になり
車を乗り捨てて、後はひたすら歩いていたのだ。
夜中なのでめったに車は通らず、まあ通ったとしても、男にとっては車を止めて助けを求める
ことは大きな賭けなので、自分で何とかこの場を切り抜けるしかなさそうだった。

男が、疲労と足の痛みに耐え切れなくなり立ち止まり、側の木に寄りかかった時、
前方に車のヘッドライトが現れ、男の方へ向かってくるのが見えた。

<やべっ!>
男は賭けなどせず、助けを求めるよりも身を隠すことを選んだ。
咄嗟に林の中へと駆け込み、座り込んで、生い茂る木々に身を隠してもらった。
数十秒後に、男の耳に車が止まる音が聞こえた。

<近くに止まったな・・・>
音の感じから、男と車との距離はそんなには離れていないようであった。
男は息を潜め、身を固くする。
静かな山の中に、草を踏み分けて歩いてくる音が伝わる。

その音は確実に男の方へと向かって来たが、どうやら目的は男ではなかったようだ。
男の存在にはまったく気が付かず、その足音の主は通り過ぎて、更に林の奥へと
進んで行った。

男は足音が通り過ぎる瞬間、そっと葉の中から顔を出した。
かろうじて、足音の主が夜の闇に溶ける直前に、その姿を確認できた。

<女性・・・かな>
後姿だったので体の線でしか判断できなかったが、女のようだった。
右手にはスコップのような物と懐中電灯を持ち、左手には何かを抱えているようで、足取りはゆっくりであった。
<こんな時間に、こんな所に何しに来たんだ?>
この男だって人のことは言えないと思うのだが、そんな疑問が頭に浮かび
気付かれないように細心の注意を払いながら後を付け始めた。

国道から林の奥へとかなりの距離を歩いた所で、女性は立ち止まり、手に抱いていた大きな包みを
そっと地面へ降ろし、その側に懐中電灯を置いた。
そして持っていたスコップで地面に穴を掘り出した。
男は大きな木の陰からその様子を眺めていた。
暗闇の中、地面に置かれた懐中電灯が照らし出したのは、穴を掘る女の姿と、
毛布らしきもので包まれた物体。
中に入っているものは、犬だったら中型犬…人だったら5〜6歳くらいの子供、
そんなことを連想させる大きさだ。

<まさかとは思うけど・・・>
男の中に、女が何をしているのかの暗く不安な予想が生まれつつあった。

その予想は的中した。

深く深く穴を掘り終えた女性は、地面に置かれた包みを丁寧に開いた。
そして、中から姿を現したものを愛しそうに抱きしめた。

「ごめんね。ごめんね、絵美ちゃん。」
声が震えていた。どうやら泣いているようだ。
女は懐中電灯を手にし、抱いているものを目に焼き付けるかのように照らし出す。
そのせいで、男からもその『もの』が何なのかはっきり見えてしまった。
男からは女は横向きで見え、女に抱かれた『もの』は男の位置からは真正面に見えた。

おかっぱ頭の幼女だった。

遠くから見る分には、幼女はただ眠っているだけのように思えたが、それは女によって否定された。
女は幼女をもう一度抱きしめた後、掘った穴の中に寝かせ、土をかぶせ始めたからだ。
時々女の嗚咽が漏れ、それでも穴はどんどん塞がれていき、やがて何事もなかったかのように
穴は元通りの地面になって風景に溶け込んだ。

女はしばらくの間、その場で呆然と立ち尽くしていたが、やがてスコップと毛布、懐中電灯を手に持ち
歩き出した。

男の横、数メートル離れた所を勢いよく通り過ぎ、まるで何かを振り切るかのように早足で去って行った。

その場に残された男は、肩の力を抜き、木に背中を預けて力なくその場にしゃがみこんだ。

<何だよ…。なんだって、よりにもよって俺がこんなもん目撃しなきゃいけないんだよ…>
男は自分の運命を少々呪ってしまった。

そして、気を取り直したように立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。

<俺はこんなことに関わっているわけにはいかないんだ>
そう思い、歩き出そうとした時、背後から声が聞こえた。

「行かせない。」

男の背中を、まるで冷水をかけられたようにぞっとするほど冷たいものが走る。
小さな子供の声。
女の子の声だ。
男は、操られるようにゆっくりと振り返り、声の方へと視線を向けた。


<嘘だ…>
男の目に、ぼんやりとした淡い光と共に信じられないものが映し出された。

先ほど埋められた穴の横で、その土の中に眠っているはずの幼女が立っていて
男を真っ直ぐ見つめていた。

2002.3.19