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言葉

政博は、頑張って仕事を終わらせ、定時で退社してきた。
午後7時には自宅へ到着した。
<これで話をする時間もたっぷり取れる・・・>
気合を入れて、ドアを開ける。

「ただいま。」
いつものように声をかけ、いつものように出迎えに来る奈津子を待つ。
待つ・・・いつもは、あまりにも自然な2人の行動で、待つという感覚もなかった。
・・・でも今日は何だか不安で・・・ドアを開ける時、緊張した。

「お帰りなさい。」
・・・いつもの通り奈津子の出迎えを受けた。

この時の政博の顔は、どこかホッとしていた・・・・。


そんな政博を見て、奈津子はクスっと笑う。

「どうしたの?」
「・・あ・・・いや・・何でもないんだ・・・。」
しどろもどろになりながら答える。

<何か良いことでもあったのかな・・・・>
奈津子の様子は、そんなことを思わせるほどいつもと違っていた。

機嫌が良い・・・・とは少し違う。・・・どこかリラックスしているような
穏やかな空気が包んでいた。

部屋着に着替え、食卓に着くと・・・・目の前に、手の込んだご馳走が並んでいた・・・・。

「・・・すごいね・・・。」
政博は目を真ん丸くした。奈津子も席に着いて、政博の前にあったグラスに
ワインを注いだ。奈津子自身にはオレンジジュースを用意していた。

「今日は・・・お互い、大事な話がある日ですものね。」
「お互い?」
「ええ。」
グラスを持ち、にこやかな微笑みを向ける奈津子。政博は、そんな奈津子に見惚れて
ぼんやりとしたまま乾杯する・・・。

<どうしたんだ?今日の奈津子は・・・・>
政博は、そんなことを考えて、ハッとする。
<それより、肝心な話をしなきゃ!>

「奈津子。あのな、昨日話したかったのは・・・。」
政博の少し早口な言葉を、奈津子はやんわりと止める。

「政博さん・・・。お願い。先に私に話をさせて・・・・。」
「え?」
政博はきょとんとする。

「私も、政博さんにどうしても伝えなければいけないことがあるの。」

奈津子の瞳は真っ直ぐ政博に向けられる。

政博は軽く息をはき、コクンと頷いた。

奈津子はホッとしたように微笑む。

「私の話を終えたら、ちゃんと政博さんのお話も聞くから・・・。ごめんね・・・。」
<・・・と、言っても・・・私の話を聞いた後じゃ、政博さん、もう私と話をするのも
嫌になるかもしれないけれど・・・・・ね・・・・>

そう思いながら・・・・・静かに話を始めた・・・・。


「政博さん・・・。私は今まであなたに嘘をついてきたの。」
「嘘?」

奈津子は頷き、自分の左手首を胸の所まで待って行き、政博の前に掲げる。

<・・・自殺未遂のことなのか・・・?>
政博は、表情を固くし、奈津子の言葉を待っていた・・・・。


奈津子は辛そうに声を震わせ・・・でも決して目を逸らさずに告白する。

「・・・私・・・・死ぬ気なんかなかったの・・・。」
「・・・・・・え?」
「死ぬ気なんか、なかったのよ。あの時・・・。」


<死ぬ気なんか・・・なかった?>
政博は、言葉を消化出来ずに困惑した・・・・。


「あの自殺騒ぎは・・・・・・。」

奈津子の瞳が涙で揺らめく・・・・。
<泣いちゃダメ。・・・ちゃんと伝えるの・・・・>

「狂言なの・・・・・。」




その言葉を吐いた瞬間、今まで硬く閉ざしていた殻を破ったように
息せき切って当時の気持ちを話し出す・・・・。
包み隠さず・・・何もかも話した。

<今まであなたを縛り付けていた鎖・・・・外してあげる・・・>

胸に痛みを感じながらも、最後まで話を続けた。

政博は・・・奈津子の言葉を静かに受け止めていた・・・・・・。


「私は政博さんの優しさを利用した。あなたを繋ぎとめる為にあんなことをした・・・。
命を盾にすればあなたは私を放っておけない・・・わかっててその気持ちを利用した。
酷いよね・・・・。優子ちゃんから・・・あの子から、あなたを取り上げてしまった・・・・・。」

奈津子の口から、まるで会ったことがあるかのように優子の名が出たことに、
政博は少し首を傾げた。

その気持ちを察したように、奈津子は言葉を付け加える。

「今日ね・・・。優子ちゃんに会いに行ったの。」
「えっ?」
政博は、正直言ってかなり驚いた。自分と咲子の子供など、絶対に見たくないだろうと
思っていたからだ。

「・・・可愛い子だった・・・・。それに、とても優しい子・・・・。」
「奈津子・・・。」
「私、本当はね、こうやって面と向かって話をせずに、手紙で済まそうと思っていたの・・・。」
そう言って、昼間書いた手紙の入った封筒を政博に差し出す。

政博は、受け取った封筒から中身を取り出し、目を見開く。

・・・中には手紙と共に、奈津子の署名捺印がされた離婚届が入っていた。

「手紙の内容は、今話した通りよ・・・・・。後は政博さんの自由にしていい・・・・。」

奈津子は、目を瞑り・・・・一番言いたかった言葉を伝える・・・・。

「もう、私に対し負い目も罪悪感も感じる必要、ないの。自由にしていいの。
・・・・今まで縛り付けてしまい・・・ごめんなさい・・・。」

<政博さんはいつも優しかった。だからこそ、優しくされる度・・・・辛かった。
政博さんが優しくしてくれる・・・その気持ちの先には、あの日の自分の嘘が
あったから・・・>

奈津子は何を言われても仕方がないと覚悟し、言葉を待った・・・。





「一人で思い詰めてたのか?」



その声に、奈津子はビクッとして・・・目を開ける。


奈津子の瞳に、優しく微笑む政博が映る。


「・・・ばかだなぁ・・・・。」
政博はそう言って、離婚届を破り、クシャっと握りつぶす。
『ばかだ』と言われたのに、その声がとても優しくて・・・・奈津子の瞳から
ポロポロと涙の粒が落ちる・・・。

「謝るのは僕の方だよ。そこまで奈津子を追い詰めたのは僕だ。」
「政博さん・・・・?」
「僕が奈津子を独りぼっちにさせてしまった。」

奈津子は<そんなことないっ!>って意思表示で首を横に振る。


「いや、僕のせいだよ。何も気持ちを話さず奈津子を不安にさせた。
自分のことしか考えていなかったよ・・・・。ごめんよ・・・・。」
狂言自殺・・・。もちろん、この告白には驚いた。・・・でも不思議と責める気持ちにはならなかった。

<・・・そのことを背負い、僕の前で笑うのは、苦しかったと思う・・・>

いつも、罪悪感を抱えていたのだろう。
奈津子のいつもどこか自信がないような・・・そんな態度の意味を知った。

そんな奈津子を孤独にさせた。そのことの方が悔やまれた。
「僕達には・・・本当の意味での会話が少なすぎたのかもしれない・・・。
伝えなきゃいけない言葉まで毎日の生活の中にいつのまにか埋もれさせてしまっていた・・・。
時間が経てば経つほどその言葉は重く自分にのしかかってくるのにね・・・。」


「・・・・・・っ。」
奈津子は零れる涙もそのままに・・・政博の気持ちを受け止める。

政博は気持ちの全てを込めて言葉を伝える・・・・。

「奈津子。僕は君を愛してる。」
「・・・・・・政博さん・・・。」

「僕の気持ちを、正直に伝えるよ・・・。僕が愛しているのは奈津子だ。」
そう言った後・・・辛そうに目を伏せる。

「・・・ただ・・・優子ちゃんには会いたい。会いたくてたまらないんだ・・・・。」
切ない言葉・・・。その気持ちが奈津子の胸にも痛いほど伝わってくる・・・。

「すぐにとは言わない・・・。君の気持ちの整理がついたら・・・いつか会ってもいいだろうか・・・・?」

奈津子は何度も何度も頷いた・・・・。


「ありがとう・・・・。」




その後、政博はクスっと笑った。
「しかし・・・僕達は、似たもの夫婦だな・・・。」

政博の言葉に奈津子はきょとんとした。

「だって、お互い勝手に思い詰めて、目の前にある答えに気が付かないんだから・・・・。」

その言葉に、奈津子の顔にも、笑顔が浮かんだ。

これからも、色々あるだろう・・・・でも、今度は逃げずに向き合える。
・・・そんな安心感が2人を包み込んでいた・・・・・・・。
















木曜日の昼間、キリーの荷物の処分が全て済んだ。
持って帰る物も魔法の国へ既に送ってある。魔法の国にも宅急便のような物が存在するのだ。
大家さんへの挨拶も済んで・・・後は帰るだけ。
玄関に立ち、キリーとレイミは、ガランとした部屋を見渡す。


「今日でここともさよならね。」
ちょっと寂しげにレイミが呟く。キリーは何も言わず、ドアを開けて、部屋を後にする。


鍵を大家さんに返し、外に出て、魔法を使える人気のない場所を探そうと
歩き始め・・・・途中で足を止める・・・・。


「・・・キリー?どうしたの?」
肩に乗っていたレイミ、キリーの行動に首を傾げる。

レイミの言葉には答えず、キリーは踵を返し、アパートへ早足で戻る。
階段を上がり、健太郎の部屋のドアを叩く。

当然健太郎は会社に行っているのでいない。カー助も相手が誰だかわからなければ
居留守を使う。


「カー助!私!キリーよ!」


そう言った後、魔法棒を出し、鍵を開ける魔法をかける。

「ちょっと、キリー!」
堂々と魔法を使うキリーの行動に、レイミは焦って辺りを見回す。
幸い人目はなく、ホッと胸を撫で下ろす。

カー助の返事を待たずにドアを開け、玄関になだれ込む。


キリーの声を聞き、玄関に出てきていたカー助、その強引な行動にビックリする。

「普通、返事を待ってから開けないか?」
ちょっと呆れながらキリーに抗議した。

そんな言葉にかまわず、キリーはしゃがんでカー助を抱きしめる。

「な・・・何すんだ?!どうしたんだよ。」
慌てたカー助、少し暴れるが・・・・・。


「カー助。私、今日魔法の国へ帰るの。」
「え?」
その言葉に、大人しくなる。




「モクモクのこと、お願いね。もし・・・・もし、私の力が必要なことがあったら
いつでも駆け付けるから。だから、お願いね・・・・・。」

最後の方は声が少し震えていた・・・・。
キリーが人間界へ来た理由はたった一つだ。魔法の国へ帰る理由も・・・一つしかない。
そのことに気が付き、キリーの気持ちが切なくて、カー助は何も言えずに黙って何度も頷いた。



キリーはそれだけ言うと、すぐに立ち上がり、入った時と同じような勢いで
部屋から出て行った。

「カー助またね!愛してるわ♪」
・・・と、レイミの台詞を置き土産に閉まるドア。



<ありがとう・・・>
カー助は、閉じられたドアをずっと見つめていた。











流れていく時間の中で、泣いたり笑ったり怒ったり。


いつもと変わらない朝が来て、1日が始まる。

楽しいことがあった日だったり、忙しくて疲れきった日だったり
・・・・色々なことが繰り返される毎日。それでもまた朝が来る。

そんな日常が、ずっと続いていく・・・
本当はそんな保証、どこにもないことを、誰もが知っているはずなのに、失った後に思い知る。

2002.1.22 

これから先、わき目も振らず突っ走ります・・・。(でないと怖い・・・涙)