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優子の魔法

健太郎は朝ごはんを食べながら、テレビのニュースを見ていた。

最近、放火が多発しているらしく、そのことがしきりに告げられていた。

「怖いね・・・。」
健太郎は、お味噌汁を飲む手を止めて、テレビ画面を見つめる。


カー助も、辛そうな顔してテレビに目を向けていた。
<・・・こんな話を聞くと、人間って奴が何を考えてんだかわかんなくなるよ・・・。>


健太郎もカー助も、新聞やニュースで報じられる事件を見るのが苦手だった。
苦手・・・と言うより、怖いのだ。目を背けたくなる。


「・・・そろそろ会社行ってくるね。」
テレビを消して、朝食の後片付けと身支度を始める。


「じゃあ、行ってくるね。今夜はコロッケにしようね。」
「おう!頑張って働けよ!」
「うん。」
「咲子さんと同じ職場だからって、デレデレしてんじゃないぞー!」

健太郎はカー助の言葉にちょっと照れた顔をして、元気に出勤して行った・・・・。



お見送りが終わり、カー助はリモコンで再びテレビをつける。

テレビのニュースは、今度は殺人事件のことを告げていた・・・。
<・・・出来ればこんなニュース、健太郎に見せたくないんだよな・・・>
でも、これも人間界の一部・・・・。目を瞑ってばかりはいられない・・・・。









営業所に着き、タイムカードを押す。
「おはようございます。」
健太郎は挨拶をした後、自然に咲子の姿を探す。・・・が、見当たらず、行動予定を書く
ボードを見ると、午前中『本社』と記入されていた。

「あ、林さんなら、本社決裁が必要な急ぎの書類が出来ちゃったから
朝一番で出かけてもらったんだ。」
健太郎の姿を見ていた所長が、そう言った。




本社での用件を済ませ、咲子はエレベーターホールに向かう。

「林さん。」

後ろから、聞き慣れた声に呼び止められる。振り返ると関口が立っていた。

「関口さん。」
「おはよう。」
「おはようございます。」

そのまま、2人は自然に並んで歩き、エレベーターを待つ。

「これから外出ですか。」
「うん。客先で打ち合わせがあるんだ。」

他愛のない会話が続き、そうこうするうちエレベーターが到着した。
エレベーターに乗り込み、咲子は扉を閉めた。
他に乗っている人もなく、2人きりの空間。
何となく2人とも無言になり・・・・咲子が少し俯きながら言葉を口にした。

「関口さん。」
「ん?」

関口が健太郎に何をしたのかはわからない。
でも、健太郎が、待ち合わせの場所に来れたのは、関口さんのおかげだと言っていた。


「あの・・・色々相談に乗っていただき・・・・ありがとうございました。」

関口は、目を見開いて咲子を見つめ、その後微笑を浮かべた。

「気持ち伝えられたみたいだね・・・・。」
「はい。」
「良かった良かった。」
笑いながら言ったものの・・・胸に切ない痛みを感じる。

1階に到着し、正面玄関を出る。

「それじゃ、俺こっちだから。」
「はい。じゃあまた。」

お互い別々の方向へ向かう。
関口は頭の表面上はこれからある打ち合わせのことを考えているが・・・・・心が叫ぶ。

早足で歩いていた足が、次第に遅くなり・・・・止まる。

俯いて、ギュッと目を瞑った後・・・・再び目を開け、振り返る。

まだそんなに離れていない所に咲子の後姿が見えた。

関口は、弾かれた様に走り出し、咲子の腕を掴む。


突然腕を掴まれ、ビックリした咲子が振り返る。

「あ・・・関口さん?」

咲子の瞳に映った関口は・・・・いつもの、どこか軽そうな雰囲気はまったくなく、
切羽詰った表情だった。


「林さん。俺は・・・・。」
<言っちゃダメだ!今更困らせるだけだろ!>


言葉が喉まで出掛かり・・・必死で飲み込む。


「関口さん?」
きょとんとして、首を傾げる。


関口は、心の中に気持ちを押し込めて・・・・咲子の腕を掴んでいた手から、ふっ・・・と力を抜いた。

「今度、みんなで飲もうよ。」
気持ちとは裏腹な微笑を浮かべる。

「林さんと田中のお祝い。」
「え?」
「林さんと田中、両思いだったくせに田中のバカタレのおかげで俺も苦労したんだ。
酒代は田中に出させよう。」

関口の言葉に咲子は頬を赤くし、笑った。


「ありがとう。関口さん。」

幸せそうに笑う咲子。・・・そんな顔を見ていたら・・・関口が無理やり作った笑顔もやがて本物なる・・・。

『あなたのことが好きです。』・・・たった一言。
言いたくて言えなかった言葉。
切なくて、切なくて・・・知ってもらいたかった本当の気持ち。


関口はニコッと笑って右手を上げる。

「じゃ!突然呼び止めてごめん。仕事に戻ります。」
そう言って、軽く手を振った後・・・踵を返し歩き出す。



<俺じゃ、あんなに幸せそうな笑顔にしてあげられない・・・・>
関口は、一生懸命咲子への気持ちを追い出し、頭を仕事へと切り替えていった・・・・・。








奈津子は咲子のアパートの前でぼんやりと立ち尽くしていた・・・・。
午後3時過ぎ・・・・。この時間までは、喫茶店や本屋などで時間を潰していたのだ。
が、いい加減、時間を潰すのにも飽きてしまい、ここに来てしまった。

・・・でも、わかっていたことだが当然咲子の家には誰もいない。
昼間優子が誰に預けられているのかまでは知らなかった。
だからアパートへ来るしかなかったのだが・・・・。


奈津子は辺りを見回し、小さな公園があるのを見つけた。
そこへのろのろと足を運び、園内の隅っこに置かれたベンチに腰掛けた。

小さな公園と言っても、滑り台、鉄棒、砂場、小さな池まであった。
木々もそこそこ植えられている。

数組の親子が遊んでいる姿が、奈津子の瞳に映る。

グループなのだろうか・・・・母親同士仲良くおしゃべりに夢中だ。
小さな子供達は、母親達から少し離れた砂場で夢中になって山を作ってトンネルを掘っている。

子供達の姿を目で追ううちに・・・自分のお腹に手を当て想像していた・・・・。
いつか自分の子供もこんな風に遊ぶ日がくるのだと。
そして、表情を曇らせ・・・・政博のことを想う。

<大丈夫・・・。一人ぼっちでも、私がちゃんとあなたを守るから・・・>
一人で子供を育てていく・・・ものすごく不安だが、その覚悟は出来ていた。

ふと・・・気が付くと、奈津子の前に髪を二つに結わいた幼女が立っていた。

奈津子は、一瞬戸惑ったが、すぐに微笑を浮かべた。

「なあに?お嬢ちゃん。」

幼女の手は、先ほどまで砂場遊びをしていたので真っ黒だった。
そして不安げな瞳で奈津子を見つめ、躊躇いがちに口を開いた。


「おばちゃん。どこか、いたいの?」

その言葉に奈津子は目を見開いた。

「おけが・・・してるの?それともおなか、いたいの?」

必死で語りかけてくる幼女に・・・奈津子は涙ぐむ。

<痛いのは・・・心なの・・・>

政博を失う痛さ。
つき続けた嘘を真正面から謝ることが出来ない自分。
これからの不安・・・。
全てが奈津子の心を責めていた。

だからこそ、幼女の言葉が優しく心に響く。

「ありがとう・・・。大丈夫。」
「うそ。まだいたいおかおしてる。」
「・・・それはね。おばちゃんが、とても悪いことをしたのに、謝れないでいるからなの。」

幼女は大きな瞳を真ん丸くして「おかあさんといっしょだ!」と、言った。

「お母さん?」
「うん。このまえおともだちとけんかした。でもちゃんとなかなおりしたっていってた。」
「・・・そう・・・。」
「おともだちとけんかしてもちゃんとあやまれば、またなかよしになれるんだよ。」
「・・・でも、とても悪いことしちゃったのよ・・・。おばちゃんのこと、きっと許してくれない・・・。」
「そんなこと、ないよ。ごめんなさいすれば、まえよりなかよしになれるよ。」


一生懸命な幼女の言葉に、奈津子は少しずつ気持ちが動かされる・・・。

「おばちゃんにも・・・できるかな。・・・謝れるかな・・・・。」

<まだ・・・私にも政博さんと向き合える勇気・・・残ってる・・・?>

奈津子の言葉に、幼女はお日様のような笑顔で大きく頷いた。

「うん。きっとあやまれるよ!」


きっと謝ることが出来る・・・・・幼女の言葉は、疑うことなく、そう信じきっていた。

奈津子の瞳に映るその笑顔は、とても温かくて・・・・・力をくれた。



「優子ちゃん〜。」
遠くから、名前を呼ぶ声がした。

<優子・・・・?>
その名前は、奈津子が知っているものだった・・・。
出来ることならば一生知りたくなかった名前。咲子の子供の名。

その声に答えるように、目の前の幼女が振り返り、「おばちゃーん。ここだよぉー。」と叫ぶ。


<まさか・・・・>

「お嬢ちゃん・・・お名前何ていうの?」
奈津子は声を震わせながら尋ねた。
幼女は屈託のない笑顔で名前を言った。

「はやしゆうこ。4さいだよ。」
右手を上げて、小さな指で『4』を示す。

そして、先ほど自分の名前を呼んだ声の主へと走り出そうとし、ハッとして振り返る。

優子は奈津子にニコッと微笑みかけ手を振る。

「じゃあね!ばいばい。」



走り去っていく優子の後ろ姿を、奈津子は目で追っていた・・・・。
視界が滲み、奈津子の瞳から涙が零れ落ちる・・・。




<あの子が・・・優子ちゃん・・・・・?>

そう思った瞬間、先ほどの幼女と咲子の顔が重なる。

<親子だもの・・・似ているわよね・・・・>



奈津子の中の・・・・憎しみや、悲しみ・・・それが簡単に消えることはない。

でも、心に優しく触れた・・・・・優子の言葉。


奈津子は俯いて、落ちる涙もそのままに・・・泣き続けた。


ごめんなさい・・・・・頭の中で、この言葉がグルグル回る。

2002.1.20