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それぞれの夜

2人がホテルを出たのは12時近かった・・・。

駅に向かって歩いて、大通りまで出た所で、少し先にタクシーが停まっていた。
ちょうどお客を降ろしているのが咲子の目に留まる。


「私、タクシーで帰るね。」
「あの。送ります。」
「大丈夫。早く帰らないとカー助君が待ってるわよ。」
そう言って、咲子は素早く健太郎に口付けした。

ちょっと慌てて、頬を赤くする健太郎に、微笑んで体を離した。

「明日、電話するね。」・・と、言ってから、咲子はタクシーに走って行った。
ドアが開き、乗り込む前に、もう一度健太郎の方を見て、軽く手を振る。

健太郎も手を振り返し・・・・タクシーが走り出して、その姿が見えなくなるまで見送った・・・。
その後、そっと手で自分の唇に触れて・・・クスっと笑う。
<・・・何だか・・・まだ夢見たいだな・・・・>
そして、軽い足取りで、再び駅に向かって歩き出す。
頬に触れる冷たい空気も、特別変わったとこもない夜の風景も、通り過ぎる見知らぬ人たちも
健太郎の目には、きらきら幸せそうに見えた・・・。



咲子はタクシーの中から携帯電話で敏子に電話をかけた。
時間も遅いし、少し躊躇ったのだが・・・。
今日は遅くなるかもしれないから、そうなったら優子のことを
よろしくと頼んでおいたのだ。なので、心配ないのだが・・・
やはり優子のことが気になった。

敏子は夜更かしの方なので、すぐに電話に出てくれた。

「遅くにごめんね。」
『ううん。起きてたし大丈夫よ。』
「ごめんね。お姉ちゃん。もう遅いし・・・明日の朝、優子迎えに行くから・・・。」
『うん。別にかまわないわよ。優子ちゃん、ぐっすり寝てるし・・・。』
「ありがとう。」
『それより、仲直りできたの?』
「え?」
『優子ちゃんね。今日ずっと難しい顔して、「おかあさん、なかなおりできたかな。」って
心配していたから。誰と喧嘩したの?』
「・・・・・・・・。」
咲子が、何て答えたら良いのか迷っていたら、電話の向こうからクスっと笑う声が聞こえた。

『好きな人でも出来たの?その人と、喧嘩したの?』
「え・・・っと・・・。」
<いつものほほんとしているのに、こういう時は鋭いのよね・・・>
姉に対して、そんなことを思っていると・・・・。
『声の感じじゃ、仲直り出来たみたいね・・・・。』・・・と、敏子の優しい言葉が聞こえた。


咲子は、姉の優しさを感じ、微笑んだ・・・。
「うん・・。ありがとう。お姉ちゃん・・・・。」

電話を切り、窓にコツンと頭を預け、流れる夜景を目で追う。
心の底から、嬉しさがこみ上げて来る・・・。
素直になれた自分に・・・自然と笑顔が零れる。


この日・・・咲子と健太郎には、幸せな未来しか見えていなかった。
幸せな時間が、ずっと続いていくと信じて疑わなかった・・・。








健太郎が、アパートにたどり着いて鍵を開けようとした瞬間、ドアが開いた。
反射的に後ろに飛びのいたので、ギリギリの所でぶつからずに済んだ。


「お!田中。」
中から顔を出したのは関口だった。

健太郎は目をぱちくりさせた。
「どうしたんですか?」

「お前の親友と仲良く飲んでた。あ、これ、事務所の鍵。」
そう言って笑いながら鍵を手渡す。
関口の姿は、コートを着て、鞄を手にしている。
ちょうど帰るところだったみたいだ。

「カー助と・・・。」
健太郎は、呟くように言った後、ハッとした。

「関口さん!今日はありがとうございました。」
ペコリと頭を下げ、その後、顔を上げて真剣な眼差しを関口に向ける。

「関口さんが、ああ言ってくれたから、俺・・・。」
「・・・逃げずに済んだみたいだな・・・。」
フッと笑みを浮かべ、健太郎の横をすり抜け、階段へ向かう。

「関口さん。」
その背中に声をかけた。呼んでみたものの、何をどう言えば良いのかわからなかった。

関口は顔だけ振り返り・・・ニヤリと意地悪そうな微笑を浮べた。

「お前の親友に借りは返してもらったから気にすんな。」
「・・・・へ?」

笑いながら去っていく関口を、不思議そうに見つめていた・・・。
関口の姿が見えなくなるまで、ぼんやりと立ち尽くし、見送った・・・。

「・・・カー助?」
そっとドアを開けて、部屋に足を踏み入れた健太郎の目に映ったものは・・・。

「うわぁ・・・・。」
部屋の状態に健太郎は目をまんまるくして驚いた。

空になった一升瓶やビールの空き缶がたくさん転がっていて、
その真ん中にカー助がクテッとうつ伏せで寝転んでいた。

「カー助!?」
健太郎は、慌ててカー助に駆け寄った。

「・・・・あんの飲兵衛が・・・。」
カー助が、忌々しそうに唸った・・・。
健太郎はきょとんとして、カー助を抱き寄せた。

「・・・・お酒臭いよ、カー助。」
「ああ・・あいつにずっと付き合わされてたからな・・・。もうヘロヘロ・・・。」
「関口さん・・・。お酒強いから。」
「強いなんてもんじゃねぇよ。化け物か、あいつは・・・。」
カー助は、健太郎の胸に顔を埋めて呻いた。


その後・・・カー助は小さな声で呟いた・・・。

「・・・良かったな・・・。健太郎・・・。」

カー助はちゃんと感じてた。健太郎の心が嬉しいって叫んでいたことを。
健太郎の気持ちが嬉しくて、飛び跳ねていることを。


関口から全ての話を聞いているうちに・・・関口自身の気持ちも察した・・・。
関口が咲子を想う気持ち・・・。

関口に・・・感謝した。
明るくはしゃぎながら健太郎と咲子の前途を祝して乾杯していた関口に、感謝した。
<だから俺が付き合うしかないじゃん・・・・>
カー助は酔ってぼんやりした頭で、そんなことを考えて、眠りについた・・・。




夜道をゆっくりと歩いていた関口。

ため息をついて・・・苦笑いする・・・。

<・・・何があったかなんて、田中の顔見りゃすぐわかる・・・>
お互いの気持ちを伝えられたのだろう。
2人は晴れて恋人同士だ。
・・・そんな言葉を頭の中に浮べて・・・自分の心の中に、辛い気持ちが湧き上がる。

咲子と健太郎のことを、心から応援していた。
その気持ちに嘘はない。
なのに、今になって、同じ土俵に上がらなかったことを・・・少しだけ後悔していた。
<結果はわかってる・・・・でも、せめて気持ちを伝えれば良かった>・・・などと思って、慌てて否定する。
<そんなのダメだ・・・。林さんが困るだけだしな・・・・>
頭をかいて、もう一度、ため息を付きガックリと肩を落す・・・。
<未練がましいったらありゃしない・・・>
でも、考えてしまうものは仕方がない・・・・気持ちってのは厄介だなぁ・・・と、思い、俯いた。

そして、気を取り直すように背筋を伸ばし、夜空を見上げる。

「なんにしても・・・良かったな。田中・・・。」
祝福しているのも、また本当の気持ち・・・。












「ただいま・・・・。」
金曜日が終わり、土曜日に曜日が変わった深夜、政博は疲れ切って帰宅した。
客先の接待で、かなりお酒を飲んでいた。。
気を使うお酒の席なのでその場では酔わなかった。酔いが顔にも出ないたちなので
ますますお酒を飲まされてしまい・・・緊張が解けた時、どっと疲れと酔いが来る。

そして、それ以上に政博を疲れさせたのは、仕事上のトラブルがあって、
土曜出勤しなければならなくなったことだ。
<土日使ってゆっくり奈津子と話をしようと思っていたのに・・・・・・>
心の中で舌打ちする。

「お帰りなさい。・・・どうしたの?何だか酷く疲れてるね・・・。」
玄関に出迎えに来た奈津子が、心配そうに尋ねた。

「ああ・・・。ごめん。ちょっと飲み過ぎちゃったみたいで・・・。」
「お腹は空いていない?」
「うん。大丈夫。お風呂入って寝るよ・・・。」
「・・うん・・・。」
奈津子は鞄を受け取り、廊下を歩く政博の後を付いて行く。


「・・・あのね。明日・・・あ、もう今日か・・・休日出勤しなきゃいけなくなっちゃって・・・。」

政博は<申し訳ない>ってシュンッとしながら言った。

奈津子は、一瞬目を見開いて、その後、ニコッと笑った。
「うん・・・。わかった。」
「土日、奈津子とゆっくり過ごそうと思ったのに・・・。日曜は絶対休むから、一緒に出かけような!」
「・・・無理しないでいいのよ。」
「無理なんかじゃないよ。」
そう言って微笑む。そして、政博は寝室に着替えに行った・・・。

廊下に残された奈津子。辛そうに俯いた。
<最後の1日。楽しく過ごしたい・・・・・>

奈津子の心は、自分の声しか聞こえなくなっていた・・・・。






健太郎は、一生懸命眠ろうとするが、なかなか寝付けない。
隣には、酔って熟睡モードのカー助が寝息を立てていた。

ふぅ・・・と息をつき・・・気持ちを落ち着かせようとするけれど、嬉しいドキドキは消えてくれない。

<電話くれるって言ってた・・・>
何を話そう。何を話してくれるんだろう。

これから、咲子と刻んでいく時間を想い・・・・・いつの間にか、幸せな眠りについていた・・・。






そして夜が明けた・・・。

2002.1.10 

ああ早くラストが書きたいと思いながらも終わらせたくないって
思いがあって・・・複雑。この連載長いからな〜。