健太郎は、無意識のうちに、会社を出て、電車に乗っていた。
考えなきゃいけないことがたくさんあるのに、頭がまったく働かない。
心の上に、重い鉛が乗っているようで、何かを考えることすら酷くおっくうだった・・・。
電車が停車し、のろのろと席を立ち、降りると、冷たい空気が健太郎を包み込む・・・・・。
でも、一番寒くて凍えていたのは・・・心だった。
改札を出て、歩道に出ると・・・・真正面のガードレールに、カー助がとまっていた。
健太郎の瞳に親友の小さな身体が映る。
カー助は何も言わずに、健太郎の肩に飛び乗り、頬に頭を摺り寄せた。
健太郎の心を感じ、心配で心配で、家でなど待っていられなかったのだ。
何があったのかは、わからない。
でも、健太郎の心が、傷つき、今まで感じたことがないほどの悲しみと孤独に包まれているのを
感じ取っていた。
カー助でさえ、かける言葉を探せないほど、健太郎の心は一人ぼっちになっていた。
<何でも良いから・・・話してよ、健太郎・・・>
そう願いながら、無言で歩き続ける親友に寄り添っていた。
家の近くにある小さな公園に通りかかり、健太郎はそこで立ち止まった。
そして、重い足取りで、園内に足を踏み入れた。
入り口の一番近くにあったベンチに座り、俯いたままぼんやりとしていた。
健太郎たち以外、人の気配のない静かな公園。夜風が健太郎の頬に当たる。
『貴方には、私のことなんかわかりっこない。』
胸の痛みを感じ、咲子から言われた言葉を頭の中から追い出す。
・・・それでも、脳裏に浮かぶ、刺すような言葉。
『貴方は幸せな世界で育った魔法使いだから・・・・。』
<俺はもう魔法使いじゃない・・・・・・でも人間でもない・・・>
魔法使いだと正体を明かした時、不安だった。
<・・・でも林先輩は何も変わらず接してくれた・・・・>
・・・・それが、崩れてしまった・・・。
信じていたものが、崩れてしまった・・・。
いつもなら、何かあったらカー助に話を聞いてもらっていた。
すぐに相談していた。
でも、今日は言葉が出てこない。
いったん口にしてしまうと・・・・涙が零れそうだったから・・・。
言葉にしてしまうと、もう一度辛い現実を突きつけられてしまうから・・・・。
健太郎にとって、辛くて悲しくて・・・受け止め切れないほどの、現実だったから・・・。
傍にいるカー助の温かさまで、感じられないくらい、周りから心を引き離していた。
健太郎が、初めて知った恋する気持ち。
大切にしていた。
でも、その気持ちは、咲子を傷つけてしまった・・・・健太郎はそう思っていた。
咲子の涙と拒絶の言葉。
大切な人を傷つけてしまった、心の痛み・・・・。
「・・・カー助・・・・。」
「ん?どした・・・?健太郎。」
カー助は、やっと言葉を口にしてくれた健太郎に、優しく聞き返した・・・・。
「・・・俺・・・・。」
「健太郎・・・?」
何かを言おうとしているのに、言葉を詰まらせる健太郎に、カー助は戸惑う。
健太郎は、一生懸命気持ちを訴えようとしているのに、言おうとすると胸が詰まる。
言葉にするのが怖くて辛くて・・・そのまま気持ちを飲み込んでしまった・・・。
気持ちの伝え方も、受け取り方も、わからなくなってしまった気がした・・・。
でも、本当は・・・・。
わからなくなったんじゃなくて、逃げていた。
心を閉ざすことで、傷つくことからも、傷つけることからも・・・・・逃げられると思っていた。
・・・・そのことに健太郎自身も気が付かないままに・・・・。
<・・・健太郎・・・?>
カー助は健太郎の心に壁が出来たのを感じ、戸惑い、必死に訴えた。
「健太郎!どうしたんだよ。何があったんだよ!」
健太郎は、静かに立ち上がり、カー助に目をやり微笑んだ。
「何でもないよ。ごめんね、心配かけて。」
<何でもないわけないだろ!そんな気持ちのない微笑み向けられて、納得するわけないだろ!>
「謝れなんて言ってない!どうしたんだよ!いつもみたく、俺に話せよ!いつもみたく
大騒ぎしろよ!何でもないなんて嘘つくなよ!!」
「本当に大丈夫だよ。・・・帰ろっか。」
健太郎は、ため息を付いた後、ゆっくりと歩き出した。
「健太郎!お前・・・・。」
「しっ。黙って、カー助。人に気が付かれちゃう。」
まだ、さほど遅い時間じゃないため、人通りも多く、カー助は苛立つ気持ちを抑え口を噤んだ。
家にたどり着き、部屋に入るなり、カー助は再び騒ぎ出した。
「おい!健太郎!何があったんだよ!俺を誤魔化そうったってそうはいかないぞ!」
健太郎に纏わり付きながら必死に呼びかける。でも、健太郎は何も言わず、部屋着に着替え、
淡々と夕食の準備をしている。
「俺、お腹すいてないんだ。」
そう言って、一羽分のオムライスを作って、テーブルに置いた。
「なぁ、健太郎・・・。本当に、何があったんだよ・・・。」
カー助の縋るような瞳。
健太郎は微笑み・・・・カー助を抱き締めて床に寝転んだ。
「健太郎・・・。」
それ以上何も言えなくなってしまい、そのままじっと健太郎の鼓動を聞いていた。
『私のことなんかわかりっこない。』
咲子の言葉を思い出す度、心が締め付けられる。
<・・・苦しいよ・・・・>
・・・・・・・・心なんて消してしまおう。
大切な人を傷つけるだけの、気持ちなんか消してしまおう。
・・・・そうすれば、楽になる。
・・・・そうすれば・・・こんなに辛くなんかなくなる。
そうすれば、誰を傷つけることもなく、自分も傷つくことなどない。
そんな想いが、健太郎自身自覚のないまま、漠然と形付けられる。
<大丈夫・・・・まだ、笑うこと、出来る・・・>
気持ちを隠しても、まだ笑うことが出来る・・・・・そう思いながらも寂しくて・・・・。
健太郎は、カー助の温かさに縋っていた。
<おかあさん・・・?>
優子は、咲子の様子がおかしい事にすぐに気が付いた。
家に帰ってきてから、ぼんやりと考え事をしていて、優子の言葉に反応し笑いかけてはくれるが
・・・・元気がない。そのことを感じていた。
寝る時間を迎えた優子は、パジャマに着替え、ベッドに入る。
咲子は、掛け布団をしっかりとかけてやり、「おやすみなさい。」と言って、微笑んだ。
優子は、やっぱり気になって心配そうに訪ねた。
「おかあさん。どうしたの?」
「ん?」
「なんか、へん・・・・。」
「そんなこと、ないわよ。」
「うそ。」
「・・・・・・・・。」
咲子は、優子に問い詰められ、苦笑いした。
「おかあさん。おともだちとケンカしたの?」
優子が心配そうに咲子を見つめた。
「・・・・ううん。喧嘩じゃなくて・・・・酷いこと、言っちゃったの・・・。」
「ひどいこと?」
「・・・お母さんね、大切な人に酷いこと言っちゃった・・・・。」
「・・・おともだち・・・ないちゃった?かなしくて、ないちゃった・・・?」
「・・・・・・うん・・・・・。」
<きっと、心の中で泣いていたはずだ・・・>
あの時の健太郎の姿を思い出し、胸を痛める・・・。
「おかあさん。ごめんなさい、しなきゃ。」
「・・・・・・・・・そうね。ごめんなさい・・・しなきゃね。」
「ゆうこも、ともちゃんやけんじくんとけんかするけど、ごめんなさいすれば、
またなかよしになれるよ。ゆうこだって、ごめんなさいしてくれれば、なかよくするよ。」
咲子は、優子の髪を撫でて微笑んだ・・・。
「そうね。・・・お母さん、明日ごめんなさいって言うね・・・。」
「うん。」
優子は安心したように笑い、しばらくして静かな寝息を立て始めた。
<明日・・・謝ろう・・・・>
咲子は優子の寝顔を見ながら、健太郎のことを想っていた。
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