戻る

魔法使いの恋B

「貴方のことが好きです。」


健太郎の言葉に、咲子はハッとして、顔を上げた。
咲子の瞳に、少しだけ不安げに自分を見つめる健太郎が映っていた。




健太郎の気持ちは、言われる前から、なんとなく感じていた。
「好きです!」って顔に書いてあるようなものだったから・・・。
そんな健太郎に、咲子は『可愛い後輩』として、接してきた。
でも、最近は・・・気持ちの中に、『可愛い後輩』以外の感情が住み着いていた。
そして今、きちんと面と向かって気持ちを伝えられて・・・・思った。

嬉しいと・・・思った。

とても嬉しいと感じている自分に気が付いた。

でも、戸惑ってもいた。

今まで、そういう対象として健太郎のことを見てこなかった。

だから、突然感じた自分の感情に戸惑っていた。

<・・・・・・・本当は・・気が付かない振りをしていたのかもしれない>
心の中で呟く。

本当は。

咲子自身も健太郎に惹かれていた。

でも・・・気が付かない振りをした・・・・。

それは何故?

<・・・田中君に私は相応しくない・・・・>
漠然と・・・そう思っていた。だから自分の気持ちに背を向けていた。


咲子は俯き、小さなため息を付いた。
そして、再び顔を上げ、健太郎を見つめた。

「・・・ありがとう。・・・・返事をする前に・・・一つだけ聞かせてくれる?」
「はい。・・・何ですか?」
健太郎は緊張気味に質問を待った。


「何で私を好きになってくれたの?」
「何でって・・・えっと・・・。」
健太郎はちょっと困惑気味に・・・でも、きちんと自分の気持ちを言葉にした。

「きっかけは・・・会社に入社する前の話になるんですが・・・・林先輩を街で見かけたんです。」

初めて出会った時のこと。その時見た咲子の笑顔。
健太郎の大切な、初めて恋に落ちた日のことを話した。


「この前、映画を見た後、立ち寄ってもらったデパート。あそこで、先輩を見たんです。」
「・・・・え?」
咲子は、ビクッとして、表情が固まった。
健太郎はそんな咲子の変化に気が付き、首を傾げた。

「あの・・・。」
<どうしたんですか?>・・・と、言おうとした健太郎を咲子の言葉が遮った。
「・・・話を続けて・・・。」



「はい・・・。」
そう言いながらも、どこかショックを受けているような咲子が気になった・・・。

「あのデパートの前で・・・先輩、誰かと待ち合わせをしていたと思うんですが・・・
その時見た笑顔が頭から離れなくて・・・・・要するに・・・一目惚れです・・・。」
ちょっと照れくさくて、少しだけ頬を赤くしながら頭をかいた。

咲子は激しく動揺したが、それを悟られないように懸命に気持ちを抑えた。

あのデパートを待ち合せに使った相手は一人しかいない。

「それって・・・田中君が入社する前の年の・・・秋?」
「・・・はい・・・・。」

<先輩・・・やっぱり様子が変だ・・・・>
健太郎は、不安げに答えた。
何か気に障るようなことを言ってしまったんだろうかと、心配していた。



健太郎の答えを聞いて、咲子は胸が苦しくて・・・・俯いて泣きたいのを必死で堪えた。

健太郎が咲子を好きになった日・・・・それは咲子が政博に再会した日だ。

<間違いない・・・・>

政博と最後に会った日。
政博に『会いたい』と言われ、受け入れた日。

<あの日の私は・・・・・最低だった・・・・>

最低な女だった。咲子はそう思っていた。


政博が結婚してから、1度だけ会って・・・・・身体を重ねた。

『咲子・・・やっぱり奈津子とは幸せになんかなれない・・・・。』
突然電話をかけてきて・・・救いを求めるようにそう言った政博。

咲子は、その言葉を聞いた時・・・・身体が熱くなった。

政博は、電話口で弱音を吐き続け、咲子は黙ってその言葉を聞いていた。
その間、奈津子に対し・・・・優越感を感じていた・・・・。
最後に『会いたい・・・。』と訴えた政博。


<会っちゃいけない、会えば傷つくことになる、だから絶対会っちゃいけない・・・>
咲子は、この言葉を繰り返していたのに・・・・心の中で<会いたい!>と叫んでいた。



口から出てきた言葉は、心の叫びの方だった。

『私も会いたい・・・。』



昔、いつも待ち合わせをしていた懐かしい場所。
そこで政博を待っていた咲子の心は、勝利に高揚しているかのようだった。
政博に会える喜び・・・それ以上に覚えている感情。
奈津子への・・・・復讐・・・・。
もう一度、政博の心を自分の物に出来るかもしれないという期待・・・。
政博のことが好き・・・そんな感情よりも、優越感の方しか覚えていない・・・・。

<馬鹿な女よね・・・私・・・>


・・・実際会ってみて・・・・後悔した・・・・・。

政博の口から出てくるのは、奈津子に対する不満・・・。
でも、聞いていくうちに、政博の気持ちに気が付いた。
『僕がこんなに気を使って、明るく振舞っているのに、何で奈津子はいつもぎこちなく笑うんだ?』
『何でいつも不安げにしているんだ・・・?何が不満なんだ・・・・。分からないよ・・・。』
『なんか監視でもされているような感じで・・・。』
『彼女の顔色を伺って生活するのはもう疲れたよ・・・・・。』
政博の言葉・・・・。
でも、そう言って辛そうに苦しむ政博の姿を見ていたら・・・・
咲子の心に彼の本心が聞こえてきた・・・・。


<奈津子を幸せに出来ない>
<僕がこんなだから奈津子も苦しむんだ>
<僕が奈津子をダメにしてしまう・・・・>
そんな声が聞こえてくる気がした・・・・。

結局・・・政博は今、奈津子のことを想い、心配し、大切にしたいと
考えている・・・・その事実を思い知らされただけだった。
政博は、単に咲子に甘えにきただけ・・・・奈津子のために疲れを癒しにきただけだと・・・思い知らされた。


咲子は・・・自分が情けなくて、悲しくて、寂しくて・・・・・それでも微笑んだ。
微笑んで、政博が一番安心するであろう言葉を口にした。


『奈津子さんは、政博さんと一緒にいるだけで幸せなのよ。
だから、貴方はただ傍にいてあげるだけで良いのよ・・・・・・。』

その時の、政博の・・・何かから解放されたような顔を今でも覚えている。
その後、ひたすら、『ごめん。ごめんな・・・咲子。』と繰り返している
政博の言葉は・・・咲子のことを余計に孤独にさせた・・・・。




もう2度と会わないと決めた・・・・・。


<よりにもよって、あの日の私を好きになっただなんてね・・・・>


<あの日の・・・最低な私の笑い顔を見て、好きになっただなんて・・・ね・・・・>


「林先輩・・・・。」
健太郎は、咲子の様子に戸惑いを感じていた。
不安な気持ちでいっぱいだった・・・・・。

クスっ・・・・。

咲子は小さな声で笑い、のろのろと顔を上げた。

立ち尽くしている健太郎の姿が瞳に映る・・・。



「ダメよ。田中君。私みたいな女、貴方には似合わない。」

健太郎は言われていることがよくわからず・・・少し考えた後、口を開いた。

「・・・『私みたいな』って・・・そんな言い方しないで下さい。」
そして、ちょっと辛そうに俯いた。
「もし俺に気を使ってくれているなら、そんなの無用ですから・・・振るならきっぱり振っちゃって下さい。」

咲子はクスクス笑い、その後、ため息を付いて微笑んだ。
「じゃあ、田中君は私のこと、どんな女だって思っているの?」


健太郎には、今の咲子の微笑みは、とても冷たく感じられた・・・・。

「林先輩は、優しくて、いつも頑張ってて・・・笑顔が素敵で・・・。
周りにいる人、みんなに元気を分けてくれます・・・・。」
健太郎は、こんな言葉じゃ言い表せないと思った。
咲子のことが大好きで・・・・傍にいられるだけでも嬉しくて・・・・。
笑ってくれれば、もっと嬉しくて・・・・。
その気持ちをどう伝えれば良いのかわからず、言葉を探していた・・・・・。



「私はそんな女じゃないわよ。」


咲子の言葉が、2人きりの事務所に響いた。


「先輩・・・・?」
「私は、田中君が思っているような女じゃないわ。」


この時・・・咲子はとても残酷なことを考えていた。
目の前にいる、何も知らない、純粋な『魔法使い』を傷つける言葉を探していた・・・・。

<何で・・・?何でそんなこと考えているの・・・・?>

心の底で、そう叫びながらも、気持ちは止められなかった。


「貴方が私を初めて見た時の笑顔って・・・どんな物だったか教えてあげる。」
「・・・え・・?」
「あの日私が待っていたのは、野島・・・野島政博よ。」
優子の父親の名前。
健太郎は、その名前を聞いて驚き・・・・そして気が付いた。

「・・・え・・・だって・・・野島さんは結婚して・・・・・。」
「そうよ。でも私、あの日、野島に抱かれたわ。」

咲子の言葉は・・・容赦なく健太郎の心を切り刻む。

「しかも、純粋に好きだから抱かれたんじゃない。奈津子に対して
優越感に浸りながら彼に抱かれたの。」



健太郎は何も言えず、咲子の言葉からも逃げられなかった。
言葉を真正面から受け止めることしか知らない健太郎に、心を守る術などなかった。

「野島を待っている時、私は奈津子から彼を奪い取ることだけを考えて、
ほくそ笑んでいたのよ!」
名前も呼び捨てにし、吐き捨てるように言い放つ。


混乱する頭で・・・健太郎は、咲子の言葉から、必死に咲子の心を探した・・・・。
魔法の国では言葉は本心を表す。
でも、人間界じゃ気持ちと裏腹な時もある。だから必死に咲子の気持ちを探した。

「違う・・・先輩はそんな人じゃない。」
「・・・・・・・・・・。」
咲子は、辛そうな健太郎を無言で見つめていた・・・。


「先輩は、ただ・・・ただ野島さんに会いたかっただけなんだ。」
「違うわよ。」
咲子は、健太郎の言葉を否定し、更に言葉を投げつける。


「私は奈津子が手首を切った時だって、彼女のこと思いやるどころか
卑怯だって思ったの。」
「・・・卑怯・・・・?」
「だってそうでしょ?命を盾に人の心を縛り付けるなんて、やり方が汚いわよ。」
咲子は、わざと、その自殺騒ぎが狂言だったことは言わなかった・・・・・。
言ったところで、自分が感じた気持ちに変わりはない・・・と、思っていたからだ。


「それに・・・私、本当は、野島の幸せなんて願っていなかった。」
「林先輩・・・・。」
「私を捨て、あんな女を選んだ男の幸せなんて願うわけないじゃない。」

健太郎は、必死で言葉を口にした。

「違う!林先輩は・・・・彼の傍にいられなかったのが寂しかっただけなんだ。
幸せを願いながらも・・・・寂しかっただけなんだ・・・。」

健太郎が政博に対して、初めて感じた嫉妬の気持ち。
咲子に政博の幸せなんて願って欲しくないと思った気持ち。
だから・・・幸せを願いながらも、辛くて寂しくて・・・・好きだから大好きだからこそ
奈津子との幸せを妬ましく思ってしまう・・・そんな気持ちを掴みかけていた・・・。
一生懸命、咲子の心を見つけようとしていた・・・・・。



そんな健太郎の気持ちが、咲子には辛かった。
健太郎が好きだと言った咲子などどこにもいない。
本当の自分はこんなにも・・・・・醜い・・・・。

咲子の瞳から、涙が零れた・・・・。


健太郎は、咲子の涙を見て、愕然とした。
<何で・・・?先輩は何で泣いているの・・・・?>

<涙の原因は自分にある>・・・そう思っても、どうして良いのかわからなかった。

咲子は、涙が頬を伝わるのを感じながら・・・・言ってしまった・・・・。

「・・・貴方の理想を私に押し付けないで・・・・・・。」
「・・・え?」



咲子は・・・<これだけは言っちゃいけない>・・・と思いながら・・・・・。
健太郎が一番傷つく言葉を・・・・静かな声で突きつけた。


「貴方には、私のことなんかわかりっこない。」
「先輩・・・・。」
「だって・・・貴方は幸せな世界で育った魔法使いだから・・・・。」
「・・・・・・・。」


「貴方なんかに、私たちの気持ち、わかりっこない・・・・。」

『私たち』・・・それは『私たち人間の気持ちは、魔法使いだった貴方にはわからない』
と、言われているのだと・・・・健太郎には痛いほどわかった。

「幸せな世界で、傷つくこともなく、傷付けることもなく、憎しみも持たずに生きてきた
貴方なんかに、私の気持ちなんか、わかるわけない!」

咲子は涙を落し・・・・辛そうに訴えた・・・・。



「理想を押し付けて、私の心に土足で踏み込まないでよ!」




信じてた・・・。


健太郎は・・・信じてた。
必ず、分かり合えるって、信じてた。
人間だって魔法使いだって・・・生きてきた世界が違くても、分かり合えるって信じていた。

その気持ちを・・・一番好きな人に、否定された。

大好きな人に否定された。

しかも、今、目の前で大切な人が泣いているのは自分のせいなのだ。
大好きな人を傷つけて泣かせて・・・・そして・・・どうしたらいいのかもわからない。


<俺じゃ・・・先輩の気持ちはわからない・・・・>
健太郎自身も・・・・・そう思ってしまった。


咲子が笑っていてくれたら、それだけで嬉しかった。

<でも・・・・俺は、傷つけることしか出来ない・・・>・・・そう感じ、心が押し潰されそうだった。




それでも・・・最後に、呟くように言った・・・。

「先輩は・・・・ただ一生懸命人を好きになっただけなんだ・・・・・・。
俺の見た笑顔だって・・・・好きな人を待つ幸せな笑顔だったはずです・・・。」




咲子と目を合わせず、俯きながら・・・辛そうに言った健太郎を見て、咲子はハッとした・・・・。
胸が痛くて・・これ以上健太郎のことを見ていられなかった。
そして、居たたまれなくなり、席を立ち、自分の荷物を手にして、足早に事務所を出て行った・・・・・・。



咲子は夜道を闇雲に歩きながら、激しい後悔に襲われていた。
<酷いことを言った>
<酷いことを言って、傷つけた・・・・>
<田中君は、何も悪くないのに・・・・>
咲子は、そんな言葉を並べ立て、自分を責めていた。


健太郎が、自分が何者なのかを告白した時のことを思い出す。

『俺のこと・・・怖いですか?魔法使いは嫌いですか?』
この言葉を言った時の健太郎は、とても不安そうだった。
不安でたまらなかったはずだ。

咲子は、その気持ちを知っていながら、1番傷つく言葉を言ってしまった。

<酷いこと・・・・言ってしまった・・・・・>



でも、あの時・・・咲子はどうしても気持ちを止めることが出来なかった。


言葉を止めることが出来なかった。




咲子は辛かったのだ・・・。健太郎が想い描く自分と、本当の自分があまりにも違うと感じたから・・・・。
それが辛くて辛くて・・・傷ついていた・・・・・。









咲子自身、気が付いていなかったが・・・怖かったのだ。自信がなくて不安だった。
本当の自分を知ったら・・・健太郎は好きになどならなかったはずだと思っていたから。
そのことが怖かったのだ・・・・。
そして、知って欲しかった・・・・自分の中にある健太郎の知らない感情を。
全てを受け入れて欲しくて・・・・。
でも、そんな気持ちにも気が付かないで、ただ乱暴に気持ちをぶつけただけだった・・・・。













事務所に残された健太郎は、しばらくぼんやりと立ち尽くしていた・・・・。

その後、ふらっと・・・壁に背中を預け・・・・ずるずると座り込んだ・・・・・。


<俺なんか・・・・消えてしまえばいい・・・・>

健太郎の目に映る全ての物が滲んで見えた・・・・・・。

2001.12.23 ⇒

あうぅ〜(涙)