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過去B


咲子の声は静かに過去を語り始める・・・・。


「優子の父親・・・政博と出会ったのは私が19歳の時だった。」

咲子は頬杖をついて・・・健太郎のことも関口のことも見ずに、テーブルの上に視線を落として
静かに話し出した。


「私、短大1年生だった。その頃、アルバイトしてお金を貯めていたの。
早く家を出たかったから。・・・うちの両親、厳しくてね・・・・
『お前のためだ!』って台詞何百回も聞かされながら、姉や私は子供の頃から両親の言う通りに
勉強ばっかりしてきた。親が認めたことしか出来なかった。・・・・姉はそんな両親とも上手く
付き合っていたけれど、私はダメだった・・・。」

高校生になる頃には、咲子はことあるごとに親に反抗をし始めた。
親の選んだ学校での高校生活・・・・頑張って入学した学校ではあったが、
咲子の気持ちは何一つ存在していない。
もっと自由になりたい・・・そのことで頭が一杯になっていた。
親に反発するたび殴られたりもしていた。
それでも自分の意思を大切にしたかった・・・。3年になる頃には親も段々態度を和らげるようになり、
咲子が選んだ短大への進学も、渋々ではあったが認めてくれた・・・・。

咲子は短大を卒業し、社会人になったらすぐに家を出ようと思っていた。
だから、バイトをして少しずつお金を貯めていた。

自分の人生、自分の決めた道を自分の足で歩いて行きたかった。


政博と出会ったのは、咲子がバイトをしていた喫茶店だった・・・。
小さな小さな喫茶店。
美味しい紅茶を出す可愛い外観のお店なので、女性客が多かった。

咲子は、たまたま友人とその喫茶店に来た時に壁に貼られていたバイト募集の
張り紙に目を留めて、その場で自分を売り込んだ。
時給はめちゃくちゃ安かったが、短大からも通いやすく、何よりお店の雰囲気が
気に入ったからだ。
お店の主人は優しげな初老の女性だった。咲子に押され気味ではあったが
快く雇ってくれた。
そして、夏休みから働き始め・・・・・政博と出会った。

それはバイトを始めた2日後だった。
正午を少し過ぎた頃、スーツを着たサラリーマンと会社の制服を着たOLらしき
男女が連れ立って店に入ってきた。

咲子は注文を聞きながら2人を観察した。
<男の方は・・・そんなにかっこ良くはないけれど優しそうな人ね。歳は・・・20代後半ってとこかしら
・・・・女の方は22〜3歳かな・・・・・・大人しそうな人だけど・・・・・ちょっと可愛い子ぶってるって
感じだなぁ・・・・>
・・・それが政博と奈津子に対する第一印象。

そう・・・この2人こそが、当時まだ恋人同士だった野島政博と浅井奈津子だったのだ。

咲子19歳 政博26歳 奈津子23歳の夏・・・3人は出会った・・・・。



それから度々2人を見かけるようになる。
どうやらこのお店のお得意様らしかった。
意外なことに、この喫茶店を気に入っているのは奈津子ではなく
政博の方だった。

奈津子は一人で来ることはなかったが、政博は1人でお昼休みだけではなくて、
会社帰りに寄ったりもしていた。

あまりにも頻繁に訪れるので、咲子との接点も多くなり、次第にウエートレスとお客としての
会話だけではなく、咲子と政博としての会話もするようになっていった。

「僕、コーヒーより、紅茶の方が好きなんだ。ここの紅茶、好きなんだ。」
政博がここへ通い続ける理由だった。

政博はこのお店で、よく仕事の予定を立てていた。
1〜2日に1度は必ず訪れていたし、日に2回来ることも珍しくなかった。
顔を合わす回数も多くなり、その度咲子と政博は話をした。

物静かな政博は、いつも咲子の話を静かに微笑みながら聞いてくれた。
いつも、ほんの短い会話ではあったが、咲子は政博の柔らかな雰囲気が好きだった。


そのうち・・・政博も咲子に自分のことを話し出すようになっていた。


話をするうちに奈津子が同じ会社の社員で・・・・恋人だということも知った。
この喫茶店は会社から程よく離れているのであまり目立つことなく
政博と奈津子が一緒にお茶を飲める場所なのだ。
「周りのみんなにはバレているけれど、社内恋愛だしあまり目立ちたくはないからね・・・。」
政博は微笑みながらそう言った・・・。


<そっか・・・やっぱりあの人は恋人だったのね・・・・>
予想はしていたものの・・・・そのことを知った時、咲子は自分の心の中に
わずかな痛みを感じた・・・・・。


「小野田先輩・・・・私は苦手。手間のかかる雑用を私やみんなに押し付けていると思うの・・・。
みんなもそう言っているわ。・・・それに機嫌が悪いとすぐ怒るの・・・・。」
奈津子は小さな声で政博にそう訴えた。かなり『小野田先輩』とやらに不満があるのが感じ取れる。
控えめな態度ではあったが、不満を言い続ける。
「先輩は奈津に出来ない仕事をしているんだ。仕事量だって多いし、背負っている責任だって
君よりはるかに重い。だから奈津も自分に出来る仕事をちゃんとこなさないと・・・・。」
「でも・・・どれも雑用ばかりなのよ。先輩のお手伝いばかりやらされて、その仕事の功績は
みんな先輩が独り占めしてしまう。」
「じゃあ今の奈津に先輩がやっている仕事をこなせると思うの・・・?
みんなの仕事の状況を把握してフォローしながら自分の仕事もこなせるの?」
政博は優しく奈津子をたしなめる。

ある日の政博と奈津子の喫茶店での会話。


政博は、奈津子が言っている『小野田先輩』なる人物をよく知っていた。
入社7年目の女性だ。とてもしっかりとした、責任感のある人で、後輩にも慕われている。
だから『みんなもそう言っているわ。』という奈津子の言葉は聞き流した。
それに彼女は不当に人を怒るなんてことをする人ではない。
そもそも奈津子の言う『怒る』という言葉自体も大げさで、ミスに対し厳しい口調で注意されただけでも
奈津子にとっては酷く怒られた気になってしまうようだ。



「・・・・・・・・・・・。」


奈津子が何も言わず、今にも泣きそうな顔になると政博は優しく微笑みかける。
「焦っちゃダメだよ。今は先輩の姿を見て色々覚えないと・・・ね。
大丈夫。奈津もすぐにそういう仕事が出来るようになるから。」



<・・・いや、一生無理だと思うわ・・・>
咲子はカウンター内でカップを拭きながら、2人の会話に心の中で突っ込みを入れた。


いつも、全てにおいて2人の会話はこんな感じだ。

甘える奈津子とそんな彼女を優しく受け止める政博。


そんな2人の会話に、どうしても耳を傾けてしまう咲子・・・・。





奈津子の、遠まわしに人を責めて自分を正当化し同意を得ようとする姿に
咲子はイライラしていた。
<・・・大人しそうに見えるけれど・・・実際は結構したたかかも・・・>
咲子は勝手にそう分析していた。




政博と会話をするようになってから、きちんと奈津子のことを紹介してもらったことがある。

「浅井奈津子と申します。」
そう言って軽く首を傾げ微笑んでいた。
咲子から見た奈津子の印象は、控えめな女、可愛い女、守りたくなるような女、
・・・そんな雰囲気を演じているように感じた。
しかし、この評価は後に知る咲子自身の気持ちを考えると・・・『嫉妬』という気持ちが
込められた物だったかもしれない・・・・。

<・・・あの奈津子って人・・・・なんだか好きになれない・・・>
咲子は心の中で呟いていた。

大人しそうに見えるが、奈津子の心の奥底には・・・・暗い、燃えるようなしたたかさがあった。

咲子はそれを感じ取ってはいたが・・・・本当の意味で思い知らされるのは
もう少し後のことだった・・・・。






政博と奈津子が一緒に来店した時は、咲子は必要以上に話しかけない。
完全にウエートレスとしての言葉しか政博に言わなかった。
・・・解るのだ。奈津子が咲子の存在を気にしていることが、
何も言われなくても視線で伝わってくる。

たかだか喫茶店のウエートレスに自分を紹介した政博の態度が奈津子は気になっていたのだ。


<そんなに気にしなくたって貴方の男なんて取らないわよ!>
・・・・初めのうちはそう思っていた。

そう思っていたはずなのに・・・・。


カラン・・・
喫茶店のドアに付いている鈴が鳴るたびに、期待してしまう咲子・・・・。
いつの間にか政博が店に来るのを楽しみに待つようになっていた。




優しげに話す政博にどんどん惹かれていった。

初めは、自分のそんな気持ちに目隠しをしていた。

気が付かないフリをしていた・・・・・。



でも・・・・・。


胸が痛いのだ。





奈津子と政博が一緒にいる所を見ると、胸が痛い。
政博が奈津子に笑いかけるのを見ると・・・・胸が痛くて、奈津子に対しどうしようもなく嫉妬する。

<あんな人のどこが良いの・・・・?>

そう考え、涙が出た・・・・・・その時気が付いた。

<私は・・・・野島さんのことが・・・好きなんだ・・・>
そのことを実感した時・・・・咲子は愕然とした。




散々悩み・・・奈津子の存在を考えると・・・あきらめようと何度も思った。

でも、ダメでもともと、振られるのも覚悟で・・・・・告白だけでもしようと思った。
自分の気持ちを伝えられるだけでいい。それ以上は望まない。

そう思った・・・。

季節は夏から秋に移り・・・・・すぐそこまで冬の足音が聞こえてきていた・・・・。


咲子のウエートレス業は、夏休み中は昼間入ったり夜入ったり、忙しい時は
昼夜働いていたりしていた。夏休みが終わってからは、授業があるので昼間は来れず、
バイトにあまり良い感情を抱いていない親の機嫌との兼ね合いも考えながら
週に3〜4日、夕方から閉店時間のみの勤務となった。



告白。

風の冷たい夜だった。

会社が終わって喫茶店に現れた政博。
その日は一人だった。

22時の店の閉店時間ぎりぎりまでいた政博が、席を立ち、精算を済ませ
「ご馳走様。」と言って店を出て行く・・・・そんな姿を目で追っていた咲子・・・。

喫茶店の扉が閉まり・・・政博の足音が遠ざかるのを聞いていて・・・
咲子は弾かれたように走り出し、後を追った。



まだ、そう遠くまでは歩いていなかった・・・政博の後姿を見つける。
「野島さん!」

政博はその声に振り返り・・・・咲子の姿が目に映ると一瞬驚いて、微笑んだ。

「どうしたんですか?僕、何か忘れ物でもしたかな・・・・。」
立ち止まり、咲子が来るのを待っていた。
走って追いかけたので息を切らしていた咲子・・・。
息を整え・・・ようやく言葉を口にする・・・。




「・・・あの・・・・・・野島さん・・・・。」
「はい?」
「私・・・・・・・。」


咲子は野島の目を見つめ、気持ちを伝えた・・・・。


「私、貴方のことが好きなんです。」


咲子の告白。
受け入れてはもらえない気持ちだと思っていた・・・・。

ところが・・・・・・政博の返事は、咲子の予想していなかった言葉だった・・・・。



「・・・時間をもらえないかな・・・・。」
政博の言葉。

<・・・・えっ?・・・・今何て言ったの・・・?>
咲子はそんな気持ちを込めて政博を見つめる。



「今は答えられないけれど・・・待っていて欲しい・・・。」
政博の言葉は真剣だった。



そして・・・その日以来、政博も奈津子も喫茶店に現れなくなった。




<・・・振られちゃったのかな・・・・・>
それどころか避けられてる?・・・・咲子はがっくりとうなだれた。
不安が止めどもなく押し寄せて来る・・・。


『待っていて欲しい。』
政博の言葉を信じつつも不安で不安で・・・・。

まったく姿を見せない政博の態度に・・・咲子は時間が経つごとに自分は振られたのだと
思い込んでいった・・・・。

<こんなことなら告白なんかしなきゃ良かった・・・>
咲子は落ち込み、後悔し・・・気が付いたら年が明けていた・・・・。


そして更に時が過ぎて・・・2月になっていた。

2月になって、咲子はバレンタイン用のチョコレートを買った。

<チョコレートなんて買って・・・・バカみたい・・・>
咲子はそう思いながらも、14日にはチョコレートを鞄に入れて
バイト先へ向かった。
でも、政博は現れず・・・・・。






政博が現れたのは2月の下旬だった・・・・・。


閉店時間間近の喫茶店。
お客は誰もいなくて、お店の主人はカウンターの隅に座りコクリコクリと居眠りをしていた。
咲子はまさか居眠りするわけにもいかず
カウンター内でぼんやりと立っていた・・・・・・・。




カラン・・・
お客を知らせる鈴の音。
咲子が入り口に目を向けると・・・・。

「・・・・・いらっしゃい・・・ませ・・・・。」
咲子は声を詰まらせた・・・。

ドアを開いて入ってきたのは・・・・。



「ここの紅茶が飲めなくて、辛かったよ・・・・。」
微笑みながら政博が立っていた。




何も言えず、ボーと政博を見つめる咲子。
政博は咲子の目の前のカウンター席に座り、告白の返事をくれた。


「奈津子とは別れた。君の気持ちが変わっていないなら僕と付き合って欲しい・・・・。」



政博の言葉は・・・咲子がずっと待っていたものだった・・・・。

2001.12.2 

次回は健太郎には許容量いっぱいいっぱいの内容だろな・・・もちろん私にも(汗)