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過去A

奈美江は、咲子に会う為に営業所へ向かっている間中
<もう帰ってしまっているかしら・・・帰っていたらいいな・・・>
・・・と、行動と矛盾することを考えていた。

会わなければと思いながらも会いたくない。
そんな心境だった・・・。









咲子は事務所の隅にある、ちょっとした接客スペースに奈美江を通した。
小さなテーブルとイスが2つある。

「今・・・お茶でも入れます。」
咲子の言葉に奈美江は首を振り、「すぐ帰りますからいいですよ・・・。」と言って、
コートを脱いでイスに座った。
咲子も、奈美江を見つめた後ゆっくりと腰掛けた・・・・。


少しの間、無言が続き・・・・意を決した奈美江は、ようやく言葉を口にした。
「こうして、まともに顔を会わせるのは・・・2回目ね・・・。」
「・・・・・はい。」
「あのね・・・・私、去年人事部に配属になってね・・・・。」
「知っています・・・・。」
咲子は、少し俯き、静かに言った・・・・。
「今日浅井さんがここへ来た理由も・・・・わかっています・・・・。」

奈美江は一瞬目を見開いて、その後ぎこちなく微笑んだ・・・。
「・・・私が人事部に配属になって・・・驚いたでしょ・・・。」
「はい。・・・それ以来、覚悟していました。」
「・・・・・・・林さん・・・。」
「はい。」

目を逸らさず真っ直ぐ奈美江を見る咲子の瞳。
奈美江も咲子を見つめた・・・・。

「優子ちゃん・・・・って・・・・政博さんの子供・・・・よね?」
「・・・はい。」
奈美江の言葉に咲子は小さく頷いた後、言葉でも肯定した。

「政博さんは、優子ちゃんのこと知っているの?」
「いえ、何も知りません。」
咲子はこの言葉の後に更に付け加えた。
「これから先も知らせるつもりはありません。」


奈美江は・・・ため息をついて、膝の上に乗せていた手をキュッと握った。

「・・・そうよね・・・。政博さんは知らないのよね・・・絶対そうだと思っていた。」

それから、奈美江は申し訳なさそうに・・・・言葉を続けた・・・。

「ごめんなさいね・・・。そうだと思いながらも不安で・・・・今の貴方の言葉を聞いて
・・・安心した・・・・。」
「浅井さん・・・。」
「ごめんなさい・・・。貴方の気持ちも考えないで・・・。安心しただなんて・・・・・ごめんなさい・・・。」
「いえ・・・。浅井さんがそう思うのも当然です。」

咲子は静かにそう言って微笑んだ。

優子は政博に認知されていない。
それどころか、優子の父親である政博は自分の子供の存在すら知らない・・・。
優子の父親のことは咲子の胸の中だけの秘密だった・・・・・。
でも、例え秘密にしていても・・・・優子の生年月日を
当時の関係者が見たら気が付いてしまう。


「浅井さんが人事部のデータで優子の存在と生年月日を知れば
・・・・誰が父親かなんてすぐに見当がつきますもんね・・・。」

浅井奈美江の人事異動を知った時、咲子は目の前が真っ暗になった。
その日から、優子のことをいつ知られてしまうか・・・そのことで頭が一杯になってしまった。

このことが、身体を壊したあの入院騒ぎの原因。


「・・・あのね・・・。」
奈美江が、昔奈津子がしたことを詫びようと思って口を開きかけた時・・・
「くしゅん!」・・・と、くしゃみの音がした。



咲子と奈美江は心臓が飛び上がるほど驚き
そろって音の方に視線を向けた。



「・・・た・・・田中君・・・関口さん・・・。」
咲子の視界に、出入り口で困惑しながら立ち尽くす2人の姿があった。


「田中・・・こんな時にくしゃみなんかすんなよ・・・。」
関口は呆れながら小声で呟いた。
「すみません・・・・。」
健太郎はそう言って俯いた。

ため息をついて、関口は事務所内に足を踏み入れた。


「ごめん。立ち聞きするつもりはなかったんだ。田中が財布忘れて取りに戻ったら、2人の会話
聞こえちゃって・・・・動くに動けなくなっちゃって・・・。」
関口はばつが悪そうに、頭をかいた・・・・。

「・・・全部聞いちゃったのね・・・。」
咲子は苦笑いした。

「ごめんなさい・・・・。」
健太郎はペコリと頭を下げた。


「は・・・林さん、ごめんなさい!」
奈美江は自分のせいで会社の人に子供のことが知られてしまったと思い慌てた。


「いいんです。この2人は優子のこと・・・知ってましたから・・・。」
咲子の言葉に、奈美江はきょとんとした。

「・・・それに、浅井さんに知られてしまった今じゃ職場に秘密にしておく理由、ないもの・・・。」
咲子はそう言って奈美江に微笑んだ。

<・・・やっぱり・・・・、私に知られないために隠していたんだ・・・・>
奈美江は咲子の気持ちを考えると胸が痛んだ。


「・・・林さん。妹がしたことは酷いことだって私は思ってる。」
「・・・・そんなこと・・・・。」
「でも・・・。」
奈美江はゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「でも、今妹は政博さんの妻として穏やかに暮らしているの。
・・・妹には幸せになってもらいたいの。」
<だからお願い・・・これからも子供のことは政博さんには言わないで・・・>
心の中でそう懇願した・・・奈美江の気持ちは咲子もわかっている・・・。

「頭を上げて下さい。先ほども言った通り政博さんには言うつもりありませんから・・・・。」
咲子は穏やかな声でそう言った・・・。

奈美江は顔を上げて咲子を見つめ・・・「ありがとう・・・・ごめんなさい・・・。」
と、小さな声で呟き、コートを手に持ち、急ぎ足で事務所から出て行った。



健太郎はぼんやりと咲子を見つめていた。

優子のことを知ってから、父親のことは気にはなっていた。
<どんな人なんだろう>
<その人と・・・昔どんなことがあったんだろう・・・>
そんなことを思ったりもしていた・・・・。
でも、その人物は・・・通り過ぎてしまった過去の中にだけ存在する人のように感じていた。
それが今、健太郎の心の中でいきなり現実の人になってしまった。






健太郎は自分の両親のことを想う。
<父親が自分の子供の存在すら知らない・・・・・>
これは、愛され、幸せに暮らしてきた健太郎にとって、信じられないことであり
だからこそ咲子の背負っている過去を知ることに、怖さを感じつつも気になってしかたがなかった・・・・。


奈美江が去った後、咲子は額に手を当てて・・・・ため息をついた・・・。




関口は、力なく座ったまま動かないでいた咲子に微笑み、声をかけた。

「・・・どうする?・・・帰る?それとも、飲みに行く?」

咲子は、ゆっくりと顔を上げて関口を見た。

「・・・飲みに・・・行きたい・・・・。」

長年の秘密を知られて、言いようのない虚脱感に襲われていた・・・。
奈美江からの言葉は、想像に反した優しいものだった・・・・・。
<もっと責められるかと思っていた・・・>
妹の幸せを壊すかもしれない女に対し、あんなに優しい態度で接してもらえるとは
思ってもいなかった・・・。

そして、自分の胸にしまっておいた過去の気持ちが溢れ出して・・・
どうしようもなくて・・・・・ただ・・・誰かに話を聞いて欲しいと思った・・・・。

答えなんかいらない・・・ただ話を聞いて欲しかった・・・。


事務所を出る時、関口は健太郎に小さな声で耳打ちする。
「今日は彼女の話を聞くだけにしろよ。」
まるで健太郎の心を見透かしたような言葉。

<なんで優子ちゃんのことを父親に知らせなかったんですか・・・?
・・・・昔・・・何があったんですか・・・・・?>
健太郎は心の中で何度も呟いていた・・・。
どんな理由があったのか・・・・知るのが怖いと思いながらも問い詰めたい衝動に駆られていた。





・・・3人は一番初めに見つかった居酒屋に迷わず入った。
場所なんかどこでも良かった。
客は少なく、座敷席の一番隅に座らせてもらった。

日本酒と、おでんやモツ煮込みなどのつまみを適当に頼み・・・無言でお酒を飲み始めた。

何も言わずにお酒を口にする咲子。

健太郎はしばらく黙ってはいたものの、どうしても我慢できなくて・・・・。


「あの・・・!さっきのあの人とは・・・・・・・むぐぅ。」
言葉は途中で遮られた。
突然口に入ってきた・・・・卵。

おでんの卵を関口が健太郎の口の中に放り込んだのだ。

「このおでん美味しいぞ〜。俺、大根欲しいから卵はお前に譲ってやる。」
<黙って待ってろよこのバカタレが!>・・・っていう気持ちが込められた
関口からの贈り物。
「もごもご・・・。」
健太郎は口を押さえて必死で卵を食べながら、目で関口に抗議する。

咲子はそんな2人の様子を見ていて、クスっと笑う。

「・・・さっきの人はね、去年の12月に人事部に配属になった浅井奈美江さん・・・・・。
そして、私が追い詰めてしまった人のお姉さんなの・・・・・。」

話し始めた咲子・・・。
健太郎と関口は咲子を見つめた。

咲子は少し俯き加減で、微笑みながら言葉を続ける。
でもその微笑みは・・・少しでも気を抜いたら泣き顔になってしまいそうだった。

2001.11.29 

さて・・・健太郎・・・頑張ろうな・・・・はぁ・・・(涙)


健太郎と関口さん♪きゃぁ♪・・・高校生にしか見えん(困惑)