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(3)優しい空間(前)

春・・・桜が咲き乱れ・・・心躍る季節・・・・・・・。

・・・だけど俺の心に春はやってきません・・・・・。

代わりに春の訪れを喜ぶ悪魔が約一匹・・・・。




渡瀬悟先輩。俺をからかうことが趣味だと言い切るちょっと迷惑な独身寮のお隣さんだ。
渡瀬先輩は少々肥り気味で、まるい顔にメガネをかけて、見た感じは良い人タイプ・・・
俺に言わせれば「人の不幸を喜ぶ悪魔」だけどな!!



そんな渡瀬先輩に彼女が出来た。





「お〜い!井原!」
サラリーマンのささやかな幸せ、休日の朝寝坊を楽しんでいたら
渡瀬先輩が俺の部屋に入ってきた。

その顔は「世界は俺のために回っているのさ」・・・というくらい
幸せに満ちた笑顔だった。

「・・・なんですかぁ?朝っぱらから・・・」
俺は布団から起き上がり寝癖のついた頭をかく・・。

「何が朝だよ!もう9時だぜ!起きろよ!出かけるぞ!」
「・・・出かけるって何処へですか?」
「新宿!・・・俺の彼女に会わせてやる!!」





独身寮から新宿までは歩いて行ける距離だ。
彼女との待ち合わせ場所に向かう途中、出会いと付き合うきっかけを聞かされた。


幸村藍子23歳。うちの会社に去年入社し配属は人事部人事課だ。
渡瀬先輩は総務部、人事部と総務部はフロアが一緒なのだ。

「ずっと可愛いな・・・と思っていたんだ」
渡瀬先輩は照れながら話を続ける。
「でもいつも会話は挨拶程度でなかなかお近づきになれなかったんだが・・・」
1ヶ月ほど前、たまたま人事部と総務部が遅くまで残業し、帰りに人事と総務の若い奴らだけで
飲みに行ったそうだ。
「で、運がいいことに飲み屋で隣に座ったのが彼女だったわけ!!」
「へぇ・・・・」
俺はわざとあんまし興味なさそうな返答を続ける。
もちろん・・・うらやましいからだ!!悪いかちくしょう!!


「でも付き合うことが出来たのって半分くらい井原のおかげなんだ」
「へ?」
意外なことを言われ、間の抜けた声を出す。俺のおかげって何もしてないぞ。
「その飲み会の時、話を盛り上げようと思って彼女にお前の話をしたんだよ!」
「・・・俺の話?」
「そ!お前の波乱万丈の人生の話!」
・・・・・おいおい・・・・・。
「そしたら彼女大笑いしてさ!」
・・・俺の人生は笑いのネタかい!!
「普段大人しくて控えめな彼女が涙出るくらい大笑いしたんだぜ!」


それから話す機会が多くなり、思い切って告白したら即OKだったそうだ。


「だから彼女にお前見せたくってさ」
・・・・俺は見世物かい!!

今度絶対渡瀬先輩におごってもらおう・・・!俺は固く心に誓った。



彼女と合流し、可愛い感じの喫茶店に入った。
「初めまして。幸村藍子です」
ペコリと頭を下げて挨拶し、ニコっ!と笑う彼女。
俺、そのあまりの可愛さに一瞬見惚れて、慌てて挨拶し返す。

話をしている間中、幸村さんはコロコロよく笑い、
俺もその優しい笑顔を見ていると自然と笑顔になる。

1時間程度話をし、喫茶店を出たところで俺は2人と別れた。
邪魔者は早く消えた方がいい。

幸村さん。小柄で少しふっくらした体つき。目も鼻も口もとても
可愛くて・・・タンポポみたいな優しい印象を受けた・・・・・・。

『渡瀬先輩・・・良かったっスね!』
心の中でそう祝福する。
渡瀬先輩の幸村さんを見つめる瞳はとても優しかった。俺から見て
2人の雰囲気は温かくてやわらかいものだった。

ああ・・俺も彼女欲しいなぁ・・・・

あの悪魔に彼女が出来て、なんで善良な市民の俺には出来ないんだ!!
・・・などとしょーもないことを考えながら独身寮への道のりを歩く・・・・・。とぼとぼと・・・・。








その3日後・・・・渡瀬先輩と幸村さん・・・そして俺にとっても重大な出来事が起こる。










その日俺は会社帰り、ちょこっと飲みたくなり、一人で居酒屋に寄った。
一時間ほどで店を出て、駅に向かおうと道を歩き出したちょうどその時
・・・人事部長の宮田さんとすれ違った・・・・・・。向こうは俺に気がつかなかったけれど
俺は気が付き・・・そして目を疑った・・・・宮田部長に肩を組まれて歩く女性が・・・・
幸村さんだったからだ・・・・・。



俺は2人の後姿を呆然と見つめていた・・・・・と、その時、幸村さんがわずかに振り向き俺を見た。
すれ違う時俺に気が付いていたのか?



振り向いた幸村さんのその表情は・・・・今にも泣きそうな、まるで助けを求めるような
ものだった。





状況は・・・・わからない。


でも


俺は迷わず2人の後をつけ始めた。




幸村さんは俺が後からついて来ていることをわかっているようで
時折俺の方に目線を送る。

すがるような目で俺に訴え掛けている。

何があったんだろう・・・・・・・。

宮田隆吏・・○×株式会社の人事部長。何でも会社始まって以来の『最年少で部長に出世』記録を
作った人物。出世街道まっしぐら、役員になるのも時間の問題・・・と言われている。
見た目は優しげなおじ様って感じなんだけれど・・・。






いろいろ考えながら歩いていくと・・・・・おいおい!!

ここってばホテル街じゃん!!


宮田部長と幸村さん大きなお城の前で立ち止まる。

宮田部長、強引に幸村さんをホテルに連れ込もうとするが幸村さんは
必死に抵抗している!!




俺は考えるより先に走り出していた。

「幸村さん!!!」


大声で叫ぶ!


宮田部長は驚いて俺の方を見る。

その隙を見て幸村さんは部長の手を振り解いて俺に走り寄って来た。
幸村さんの顔は涙で濡れていた。
俺は幸村さんを後ろにかばいながら目の前の宮田部長を見つめる。


宮田部長は始めはうろたえたもののすぐに復活。
嫌な笑いを浮かべて俺を見る。

「君は・・・・・確かうちの会社の社員だよな・・・・」
さすが人事部長。社員の顔くらいは覚えているのか。

「・・・宮田部長・・・・これってどういうことですか?」

この状況、事情はわからないものの・・・だいたいの想像はつく。
このスケベ親父、おおかた何かしらの理由をつけて無理やり手込めにしようと思ってたんだろ・・・・。




「・・・君も気が利かないな・・・だいたいの察しはついているんだろう?」
開き直ったのか・・・・宮田部長は悪びれる様子も無くこんなことほざいている。

ふんっ・・・と笑い、俺を睨みながら小声で言った。
「・・・・日のあたらない部署に飛ばされたくなかったら黙ってここから立ち去れ」

そして幸村さんの腕を強引に掴んで引き寄せようとする・・・。


普段だったらこんなこと言われたら結構びびっていただろう。
なにせ相手は人事部長。この宮田部長は会社にかなり影響力を与える力を持った男だ。


でも今は無性に腹が立っていて・・・・・・・・。










気が付いた時、俺は宮田部長を思いっきり殴り飛ばしていた。











殴られた宮田部長はよろけて尻もちを付き地面に座り込んだ。


驚く幸村さんの腕を掴み、俺は走り出していた。











かなりの距離を走った後、
幸村さんを・・・・・いや、自分自身も落ち着かせるため、とりあえず喫茶店に入った。
そこから携帯電話で渡瀬先輩を呼び出す。
渡瀬先輩はまだ残業で会社に残っていたが俺の話を聞き、驚くような速さで
この喫茶店に到着。




3人でコーヒーを飲み幸村さんが落ち着いたのを見計らって
事情を聞いてみる。

「今日仕事でミスしてしまって、そのことで話があると言われたんです」

それで2人で飲みに行ったそうだ。

いつの間にか仕事の話ではなく、口説かれ始めて・・・初めは優しい口調だったのが
しまいにはほとんど脅しに等しいことを言われたらしい。

大人しい幸村さん、恐くて恐くて仕方なくずるずると流され行き着いたのがあのホテル街。

「もしあの時井原さんが通りかからなきゃ私・・・・・」
幸村さん・・・・・せっかく泣き止んだのに、また体を震わせて泣き始めてしまう・・・・・。

そしてもう一人、体を震わせている奴がいる。・・・・・・渡瀬先輩。
こちらの方は激しい怒りで・・・だ。


「あんの・・・・・変態親父・・・・・・・」
渡瀬先輩、怒りをどこに発散させていいのかわからず拳を強く握っている。


気付くと時間は10時を過ぎていた。
「・・・・・・とにかく・・・・」
多分今1番冷静であろう俺、話し出す。
「今日はもう遅いし帰りましょう・・・・・渡瀬先輩・・・・・幸村さん家まで送ってあげて下さい・・・」





一人で先に寮に帰った俺はビールを飲みながら渡瀬先輩の帰りを待つ。

12時近くに渡瀬先輩が帰ってきて俺の部屋にきた・・・・。
ドアの所で立ったまま静かに話し始めた。

「とりあえず明日は仮病でも何でも理由つけて休ませるようにした」
そうした方がいいだろうな・・・・・宮田部長と幸村さんは同じ人事部
いくらなんでも次の日にあのスケベ親父と顔を合わせるのは精神衛生上良くないだろう。



「それから・・・・井原・・・・・」
「はい?」


渡瀬先輩は俺の肩に手をおき、頭を下げた。
「・・・・感謝してる・・・ありがとう・・・・・」


うわぁ・・・この悪魔が・・・・こんな態度取るなんて・・・・・・。



俺は何だか照れくさくなり、頭をかきながら言う。
「先輩がそんな素直だと気持ち悪いっスよ!!」
笑いながら言ったのに渡瀬先輩は真剣な顔で俺を見る。



「幸村さんから聞いたんだが・・・・お前宮田部長・・・殴ったんだって?」
「・・・・・・・はぁ・・・・・」
そう、いくらなんでもあれはまずかっただろうか・・・・相手は人事部長だし・・・。
渡瀬先輩は心配そうな顔つきで俺を見ている。




俺は渡瀬先輩に・・・・俺自身にも言い聞かせるように言った・・・。
「でも今日のことが公になると宮田部長だって立場ヤバイだろうし・・・きっと
大丈夫ですよ!」


・・・そう・・・きっと大丈夫・・・・自分に、そう言い聞かせた。





それからしばらくは何事も無く平和に過ぎた。
幸村さんも辛いだろうがきちんと出勤している。
俺が殴った時の宮田部長の傷も軽くアザが出来る程度だったようだ・・・・。
そのことで宮田部長が俺や幸村さんに何か言ってくるということもなかった。











そして1ヶ月後・・・・・・一件の時期外れな人事異動があった。

対象者は・・・・・・・・俺。



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2001.4.3   次ページへ