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(13)幸せの星G

今日は・・・貝塚が倉田家から去る日。

貝塚と食事をする約束の日だ。

「私は最後の挨拶回りをしてきますのでお店の前でPM7:00に待ち合わせしましょう」

そう言って貝塚は俺に1枚のメモを渡した。
メモにはお店の名前と連絡先が書いてあった。



「遅いな・・・・」
現在PM7:15・・・7:00じゃなかったのかよ!!待ち合わせ時間!
少し早く到着していたのでもう店の前で25分も待っている。
お店はとても落ち着いた感じのフランス料理店だった。
建物の外観を見て『高そうだな・・・』と感じた。まぁいいや。どうせあいつのおごりだ!
それにしても・・・・予約しているんじゃないのか?これ以上時間に遅れたらまずいかも・・・。
そう思いお店のドアを開け、俺に気が付いて近づいてきた案内係りの人に確認する。

「貝塚様ですか?・・・はいご予約いただいております。7時半からのご予約となっておりますが・・・」
「7時半?・・・・・・そうですか・・・」
「よろしければ中でお待ちになられては・・・」
「いえ・・・外で待ちます」

何だよ!予約が7時半なら7時に待ち合わせにしなくたっていいじゃないか!
なんだって30分も早く呼び出して・・挙句に俺のこと待たせるんだ?


PM7:30ちょうどに貝塚は現れた。
「遅くなって申し訳ありません。私物をまとめるのに手間取ってしまって」
貝塚は手に大きな鞄を持っていた。
「新しい新居に荷物も運んであるし・・・倉田家にはもう戻りません。これが最後の荷物です」

お店に入り席に案内された。

店内は少し薄暗く、テーブルの上には花が飾られ、ろうそくの火が灯っていた。
席に向かい合うように座りオーダーを済ませる。
何を頼むかは全部貝塚に決めてもらった。


高そうなワインが運ばれてきてグラスに注がれる。
貝塚はグラスを手に持ち、微笑む。
俺もつられてグラスを手にした。
「貴方との食事が終ったら私の新しい人生のスタートです」

手にしていた俺のグラスに貝塚は自分のグラスを軽くあてた。
ガラスの触れる綺麗な音がした。

俺は何も言わずワインを飲む貝塚を見ていた。
貝塚が何を考えているのかまったくわからず、待つしかなかった。

前菜が運ばれてきて、貝塚は食べ始めた。
「井原さん、食べないのですか?」
ワインにも食事にもまったく手をつけていない俺を不思議そうに見る。
「何か俺に話があるんじゃないんですか?」
待ちきれず聞く。貝塚はクスクス笑いながら答えた。
「今は食事を楽しみましょう」

・・・・・・仕方なく俺も食べ始める。でも、味もわからず・・・・・
なんてことはなくて、すごく美味しくて感動した!!


食後にコーヒーが運ばれてきて、そこでようやく貝塚の話が始まった・・・。


「・・・私の母親は・・・・とても綺麗な人でした・・・」
「・・・はぁ?」
突拍子のない話に間の抜けた声を上げてしまった。貝塚の母親の話なんて
俺にしてどうするつもりだ?

「自慢の母でした。私は母のことが大好きで・・・特に母の綺麗な目が私は
とても好きでした・・・・・」
また『目』・・・か・・・目にこだわる奴だな・・・・。
「父は母によく暴力を振るっていました・・・小さかった私は母を守ることが出来なかった」
貝塚は寂しそうに微笑みうつむいた。
「母は家を出て行きました・・・・私を置いて・・・でも私は変わらず母のことが好きだった。父から
逃げるためには仕方なかったのだと子供ながらに思いましたから・・・」

俺はただ黙って話を聞いていた・・・。自分に何の関係があるのかわからないが
貝塚の・・・とても懐かしそうな・・・でも、とても悲しそうな顔を見つめながら・・・。

「それから母とは会うこともなく、母からは父宛に離婚届が送られてきただけで
私には連絡も手紙も何もなかった・・・・それでも母の心には私がいると信じていた・・・」
そして顔を上げ、俺の目を見て言った。

「大学生の頃街で偶然・・・母とすれ違いました。一瞬目が合い、私はすぐに母だと気が付いた
・・・・・・でも母は・・・俺を・・・・自分の子供だと気が付かなかった・・・」

貝塚は相変わらず微笑んでいたが・・・目はまるで俺を責めるような色をしていた。

「母の・・・新しい家族なのか・・・男性と子供をつれて幸せそうに歩いていた・・・
その時の母の目は・・・もう私の好きな目ではなくなっていた・・・」

そして・・・・・・・とても冷たい目をして言った・・・・。

「私はその時思いました・・・大好きな人に忘れられるくらいならその人の『傷』になってでも
私の存在を心に刻み込みたいと・・・」
「・・・傷・・・?」
俺の言葉に小さく頷き話を続ける。

「大学卒業後倉田家に雇われて、初めて舞さんに会った時・・・感動しました。・・・小さくて可愛らしい
少女。・・・私の大好きな・・・とても澄んだ目をしていた・・・」
澄んだ目・・・・・そう言った貝塚の顔は本当に嬉しそうだった。

「私は舞さんに夢中になった。・・・内気だった舞さんも徐々に私に懐いてくれて・・・・それからしばらく経って
飛行機事故で舞さんのご両親が亡くなりました・・・・」

15年前の話・・・・俺は少し緊張し貝塚の話に耳を傾ける・・・・・。

「舞さんのお父様は仕事で海外へ出張していて、この時は奥様も一緒でした。
大切な仕事先の方が是非奥様にもお会いしたいとのことでしたので・・・
日程が過密だったため舞さんは連れて行ってはもらえなかった」



「事故の前日、ちょうど秘書室に舞さんが遊びに来ていた時、舞さんのお父様から電話がきました。
仕事が予定より早く片付いたから少し観光して帰るとおっしゃってました・・・。でもその後、舞さんが
電話に出られてお父様と話をした・・・いつもは我侭を言わない舞さんでしたが、ご両親ともが
長くいなかったので寂しかったのでしょう・・・・『パパ!ママ!早く帰ってきて!!』・・・
と泣きながら訴えているのを聞きました」

・・・俺は・・・・この時点で話の先を聞くのが・・・どうしようもなく恐くなった・・・・・。


「そして予定の飛行機より早い便に乗ったんです」
「・・・その飛行機が・・・事故で・・・・・」


・・・・最悪の展開に・・・息をのんだ・・・・。


「この時の舞さんとお父さんの会話を聞いていたのは私だけでした・・・・・」

倉田さん・・・・頭の中に彼女の顔が浮かぶ・・・・。

「葬儀の日『仕事が早く終ったなら観光でもして予定通りの飛行機で帰ってくれば
事故に遭わずに済んだのに』・・・とみんな口々に言っていました・・・舞さんは
子供ながらに自分のせいだ・・・と感じている様子でした・・・・」

・・・小さな子供が背負うにはあまりに重い現実だ・・・・・。
倉田さんのせいじゃない!!・・・・・・でも彼女はそう思ってしまったんだ・・・・。

「・・・私は・・・この時を逃しませんでした・・・・」
「・・・・・・・?」
貝塚の言葉がよくわからなかった・・・・この時を・・・逃さない・・・?

「・・・私は舞さんにそっと耳打ちしました・・・・・・・・」
・・・俺はその時の貝塚の静かな冷たい目に動けなくなる・・・・。

「パパとママを殺したのは貴方です・・・貴方は人を不幸にする・・・・
そう言いました」



俺は・・・・・・
貝塚への激しい怒りと嫌悪感で気持ちが悪くなり口を手でおさえた。

小さな子供に・・・両親を失って、今にも壊れてしまいそうな小さな心に
ぶつけられた言葉。

『パパとママを殺したのは貴方です・・・』

わずか・・・6歳の子供に・・・・
これほど残酷な言葉はなかっただろう。



『貴方は人を不幸にする』


この時倉田さんの心は・・・どうしようもなく傷ついてしまったんだろう。
自分を責め続けて・・・ずっと苦しんできたんだろう。
自分は大事な人を不幸にする。小さな心は本当にそう信じ、押し潰されてしまった。

両親の死に悲しむ会長や周りの人達を見て、その原因が自分にあると
思ってしまった小さな心は・・・・・・・悲しみと・・・知られてしまった時の恐怖も抱えて
・・・・どんなに恐かっただろう・・・・・。
自分の大切な人を死なせ、大切な人達を苦しめているのは自分だと、そう思い続け
信じ続けて生きてきた。

大切な人を不幸にするくらいなら誰にも近づかず一人でいることを選んだ。
心を閉ざし、誰にも助けを求めず、一人で耐えてきたんだ・・・・・。


「舞さんの秘密を握り、責め続けて・・・この15年間、私は彼女の心の中で
いつも1番でいられた・・・・・」
「・・・・1番・・・・?」
貝塚を睨む・・・・この時の俺の目は怒りと悔しさと・・・悲しさで
涙ぐんでいた・・・・。

「恐怖や憎悪・・・・といった対象でしたが・・・私が彼女の心を占領していられた
・・・幸せでしたよ・・・本当に」


・・・歪んでる・・・・・。こいつの心・・・・・・。
俺はいろんな感情に支配され何も言えず、動けなくなった。
涙が頬を伝うのを感じながら貝塚から目をそらすことすら
出来ずただ見詰めていた・・・・。

「なのに一瞬のうちに舞さんの心を奪われた」
貝塚は俺を見詰め・・・微笑む・・・・。


「井原さん。貴方が現れ、私は舞さんの中での2番になってしまった」

・・・・・・・人から自分を遠ざけていた彼女が・・・・俺に話し掛けてくれた・・・
俺に父親の影を見て・・・・・・・。

「会長に貴方のことを調べるようにと依頼され、貴方の存在を知った時、初めは恨みましたよ・・・・・でも
貴方を知るうち、嬉しくなりました」
「・・・嬉しい?」
「貴方も私の好きな目をしていたから・・・・・・」

陶酔したかのようにうっとりと俺を見詰める貝塚・・・・・。

「貴方にも『傷』を付けてあげたくなりました・・・・私を忘れられなくなるくらいの・・・」

俺にも『傷』を付けるだと?

「舞さんの1番でなくなった以上、倉田家にいる理由もなくなった。
だから最後に舞さんと・・・そして貴方に贈り物をしようと思って・・・」
「・・・そんなに倉田さんと俺が憎いのか?・・・・」


貝塚は『心外だ』と言いたげな表情をし、寂しそうに言った。

「何度言えば信じてくれるんです?私は貴方も舞さんも同じくらい好きなんですよ」

そして幸せそうな顔で話続ける。

「・・・貴方にどんな『傷』を贈るか考えるだけで楽しかった」
こいつ・・・狂ってる・・・・右手で涙をぬぐい・・・貝塚を見据える。


「舞さんが貴方に心を開いた理由・・・ご存知ですか?」
「とっくに知っているよ!・・・・似ているんだろ?彼女の父親に・・・」

貝塚は少しがっかりしたように肩を落としてから、ニコっと笑った。

「なんだ・・・貴方と話をした時私はすぐ似ているな・・・と感じたんで・・・
貴方に教えてあげるのを楽しみにしていたのに・・・」
「残念だったな!そんなことで傷つくか!」

・・・嘘だ・・・知った時は、正直・・・落ち込んだ。でも・・・こんな奴に傷付けられてたまるか!

「そうですね。このくらいのことでは貴方に『傷』は付けられない」
そして笑いながら言った・

「だから違う方法を選びました」
「・・・違う方法?」
「貴方の舞さんへの気持ち健気ですよね・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
俺の倉田さんへの気持ち・・・知っているのか・・・?


「今日・・・倉田家を出る時、舞さんに手紙を渡しました。」
「手紙?」
「私が書いた彼女への最後の贈り物です」

・・・直感で内容がわかった・・・・・・。
「お前・・・まさか・・・・」
「手紙には、貴方がどういう形で倉田家に連れてこられ、どんな目に
遭ってきたか・・・・全て舞さんが原因だということを記しておきました」

・・・・こいつ・・・・・最低だ・・・!!
今日の待ち合わせ時間におくれたのもそのためだったんだ!
わざと時間をずらして俺を倉田さんから遠ざけたんだ・・・・。

「修治さんを遠まわしにけしかけたのは私です。・・・田中さんの件は私は無関係です・・・
まあ、嬉しい展開でしたけどね・・・・」

田中とのことまで知っているのか?・・・ずっと俺のこと調べてたのか・・・・。

「舞さんに・・・・無意識だったかもしれませんが貴方に父親を求めていた
ことも本人に自覚させてあげようと思いましてね・・・忠告しておきました。
そして・・・三田さんと貴方との『取引』のことも書いておきましたよ」

『取引』・・・・この言葉が胸に刺さった・・・。

「・・・たぶん舞さんは今まで貴方が優しくしてくれたのは全部元の生活に戻りたいから
だと思ったに違いない」
幸せそうに笑う貝塚・・・・。


「・・・お前・・・・」
怒りと悔しさでこれ以上の言葉が出てこない・・・・。
そんな俺の顔を満足そうに見詰め、そして言った。

「・・・舞さん今頃手紙を読んで・・・どうなっているでしょうね?」


俺、ハッとする。・・・そうだ・・・倉田さん。
倉田さんの所に行かなきゃ・・・・・・・・

彼女・・・きっと・・・傷ついてる・・・・その原因は俺だ。
よろけながらイスから立ち上がり店から出る。店の前の道路に出てタクシーを捕まえる。
とにかく早く帰らなきゃ・・・・・帰って倉田さんに会わなきゃ・・・そのことだけが俺の頭を占めていた。



店に一人残った貝塚・・・ふっとため息をつき小さな声で囁いた。
「これであの2人は私のことを忘れない・・・本当に大好きでしたよ・・・」




倉田邸に戻り玄関に入ると三田さんが青い顔で俺に駆け寄って来た。
「舞様が!!」
「倉田さんが・・・どうしたんですか?」
「何処にもいないんです!お屋敷中捜しているのに何処にもいないんです!!」


俺は混乱している三田さんを置いて外に駆け出した。
後ろから三田さんの「井原さん!!」・・と呼ぶ声が聞こえたけれど
今は説明している時間も心の余裕もない。
とにかく倉田さんを見つけないと。


近所を走り回り探し続けた。途中雨が降り出した・・・・。
いない・・・何処へ行ってしまったんだ!!

見つけても倉田さんに何を言えば良いのかわからない・・・。
でも倉田さんに会わないと・・・・。


どれくらい走ってからか・・・目の前に公園があった・・・。

そして公園の真ん中で雨に打たれて立ち尽くす女性の後姿・・・・倉田さんを見つけた。


「倉田さん!!」
俺に呼ばれ振り向いた倉田さんの顔・・・雨に濡れていても泣いていることが
わかった。・・・目が赤かった・・・・。

倉田さんは俺を見て逃げるように走り出した。


「待って!!・・・倉田さん!!お願いだから!!」
俺も走って後を追う・・・。倉田さんは振り向かず走り続ける。
お願いだから・・・倉田さん・・逃げないで!!
自分から逃げる彼女の後姿を見て心が痛くなる。



気が付いたら・・・叫んでた。




「舞!!」



俺の声を聞き・・・・倉田さんは立ち止まった・・・・そしてゆっくり俺の方に振り返る。


ようやく彼女の所にたどり着く・・・・俺も倉田さんも雨でびしょ濡れだ・・・。


「倉田さん・・・・・」

倉田さんは悲しそうに微笑み・・・・言った。


「・・・ごめんなさい・・・・・」

違う!倉田さんが悪いんじゃない!
「貝塚の手紙なんか・・・信じちゃ・・・・」
「本当のことなんでしょう?」

倉田さんが真っ直ぐ俺を見詰める。俺は小さく頷く。


「・・・でも、全てが本当じゃない」

そうだ・・・起きた出来事は本当のことでも・・・・・その時の
俺の気持ちは・・・・・・・俺にしかわからない!!

倉田さんはゆっくり首を横に振り、言った・・・・。
「私が原因で貴方を苦しめたのは事実・・・・・・でも安心して下さい・・・おじい様に言って
すぐに貴方を自由にしてあげる・・・」
「倉田さん・・・」
そうじゃない!!・・・・・心の中で叫ぶ・・・・でも伝える言葉が見つからない。

「だから・・もう優しくしてくれなくてもいいんです・・・」
倉田さんは寂しそうにうつむいた・・・。
「違う!!違うんだ!!確かに俺は元の生活に戻りたかったし
倉田家に来たのだって自分の意思じゃなかった!でも・・・」

上手く自分の気持ちを伝える言葉が見つからない・・・・必死で考え
言葉を続ける・・・。

「俺は楽しかった。倉田さんと一緒にいる時間がとても好きだった!嘘じゃない!」


言葉を言えば言うほど空回りしているような気がした。
どう言っても信じてもらえないような気がして・・・・・。

『人間だから嘘もつく。でもな、幸太・・・ときどき嘘は本当のことまで嘘にしてしまうよ』

昔婆ちゃんが言っていた言葉・・・ようやく理解できた・・・・。
一度信じていたものが崩れると本当のことまで嘘の色に染められてしまう・・・。

それでも言葉を言い続けるしかなかった。


うつむいたまま俺のことを見てくれようとしない倉田さん。






こんな形で・・・伝えなければならないのか・・・・・・・自分の大切な言葉・・・・。







「・・・・・君のことが好きなんだ・・・・・」








本当の気持ちを伝えるということは、こんなに不確かな危ういものなんだ・・・。



つきたくてついた嘘じゃない。隠したくて隠していたわけじゃない・・・。
傷付けたくなかったから・・・ただそれだけだった・・・。
でも・・・結局・・・彼女を傷付けてしまった・・・・どうしようもないほどに・・・。

倉田さんは何も言わず立ったまま・・・俺もこれ以上何も言えず目を閉じうつむいていた・・・。

やっぱり・・・・信じてもらえない・・・のかな・・。



そう思い目を開けた時、倉田さんが俺にゆっくり近づき軽くかかとを上げ・・・。


・・・・・・彼女の唇が俺の唇に・・・そっと触れた。



そして小さな声で囁く・・・。
「貴方は父の代わりなんかじゃない・・・・」



倉田さんはすぐに俺から離れ・・・少しずつ後ずさる。
俺はぼんやり倉田さんの顔を見ていた・・・・・・。



「井原・・・幸太さん・・・・私・・・・・・強くなる」



「絶対負けない・・・・私、幸せになりたい・・・貴方に会って・・・そう思った。
・・・貴方に会えたから・・・・そう願えるようになった・・・・・」



「いつかまた・・・貴方と会える日がきたら・・・もう一度『好きだ』って言って貰うにふさわしい
人になっていたい」


それから・・・今にも泣き出しそうな笑顔で言った。
「さよなら・・・」



そして・・・倉田さんは走って行ってしまった。1度も振り返らずに・・・。



俺は後を追うことも出来ず、ただ遠ざかる彼女の後姿を見ていた・・・・・・。





これはやっぱり・・・・・・振られたんだよ・・・・・・・な・・・・・・。





もっと違う形で出会えていたら・・・結果は違っていただろうか・・・・。








俺をいじめるように雨が強くなる。
ちくしょー!頑張れ!井原幸太!!元気出せよ・・・・・慣れっこだろう
こんなこと・・・・・・・・・・。








・・・・もう・・・頑張れないかも・・・・・しれない。







次の日の朝早くに会長に呼ばれた。

倉田家に来て会長に会うのは初めてだ・・・・・・。
三田さんに会長の部屋まで案内された。


ドアをノックし三田さんと俺、部屋へ入った。
「井原さんをお連れしました」
「君が井原君か」



俺は黙って会長の顔を見ていた。言いたいことは山ほどあったはずなのに
何も言う気になれない。そんな元気・・・どこにも残っていない。
せめてもの抗議と思って、ただ黙って立っていた。


三田さんが退室し会長と2人きりになった。

倉田会長・・・73歳。思っていたより小柄で見た目は・・・年相応の普通のお祖父さん・・・・。
でもその目には・・・威圧感があった。


「・・・・すまなかったな・・・・・」
いきなりの謝罪の言葉に驚き会長の顔をまじまじと見てしまった。

「舞にこっぴどく叱られた・・・」
苦笑いし、肩をすくめた。・・・威厳がある会長も孫にかかってはただのお祖父さんになってしまう。

「何にせよあんなに自分の感情を表に出す舞を・・・・初めて見た。
全て話してくれたよ・・・・・・・・子供の頃のことも・・・・全部・・・・」

それから数歩歩き俺の前に来て深く頭を下げた。
「君のお陰だ・・・・ありがとう」

そんな会長を俺は黙って見ていた。
たまらなくもどかしかった。

「何か君にお礼がしたい。私に出来ることがあったら何でもしよう・・・」

「・・・俺を元の会社に戻れるようにして下さい・・・」

「それはわかっている。そのこととは別に何かお礼を・・・・」

その言葉を聞いた瞬間、何だか無性に腹が立った。



「もういい加減にしてくれ!!」

我慢・・・出来なかった・・・。

「俺はあんたに礼をされるようなことは何もしていない!!」


俺はただ、倉田さんの笑顔が見たかった・・・・それだけだ。
彼女に笑っていて欲しかった・・・ただそれだけだったんだ!!

「舞さんが一人で苦しんでいるのを見ていて何で何もしなかった?
大切な人の笑顔が見たいなら自分で動け!!人任せにすんな!!」


会長は反論も何もせず言われっぱなしだった・・・俺の言葉を黙って聞いていた。


一気に言葉を吐いたので軽く息切れした・・・。

「・・・・・・でなきゃ本当の気持ちなんか・・・わかるわけないんだ・・・」


後から考えると・・・K物産の会長相手によくまあここまで言いたいこと言えたな
・・・と思った。

会長の許可も得ずに勝手に部屋を出た。廊下で待っていた三田さんが
心配そうに俺を見たていた・・・。聞こえていたんだな・・・きっと。



その日のうちに俺は元の場所に戻ることになった。
倉田さんとは一度も顔を会わさなかった・・・・。

引越しの荷物をまとめていて、机の中に黒い封筒を見つけた。

中を開けて見ると・・・・

『私のことを覚えていて下さいね』

そう書かれた・・・・・貝塚からのメッセージ・・・・。

黒い封筒・・・・貝塚だったのか・・・俺に『傷』を付けるための道具・・か・・・。

俺は手紙を破り捨てた。
「お前のことなんてもう忘れたよ」





夕方・・・全ての片づけが終わり倉田家を出る。
「・・・寂しくなります・・・・・・・・」
三田さんの言葉・・・・・俺と倉田さんに何かあったと感じながらも聞かないでいてくれる・・・。
その優しさに感謝する・・・・。

三田さんが車で送ってくれると言ったが断った。
1人で「帰りたい」気分だった。


門に向かって庭を歩いている時一度だけ屋敷の方を振り返った。
倉田さんの部屋の窓に彼女が立っているのが見えた。




『さよなら・・・・』
心の中でつぶやいた。


君が幸せになれるなら何だってする・・・・
・・・・・でも俺には願うことしか出来ないんだ・・・・・。











夕日が差し込む窓辺でイスに座り・・・会長は写真を手にし眺めていた。

「・・・お前にそっくりだったよ・・・・幸生」

愛しそうに写真を見つめ・・・ささやく。
「いつか彼の方から望んで・・・・またここに戻ってきてくれるように
努力しよう・・・・・」








夜、寮に到着。
久しぶりの独身寮・・・・・・。望んで・・・戻って来たはずなのに・・・・・・
気持ちは・・・・・海の底。


「井原!!」
玄関に入るなり渡瀬先輩の熱烈歓迎を受ける。

「お前がいない毎日はまるで福神漬けのないカレーライスのようだったよ!!」
「・・・・・・・先輩・・・・それ・・・微妙な存在ですよね・・・・・・」

今の俺には渡瀬先輩の元気さが・・・・・・救いだった。

2001.4.23   次ページへ

業務連絡→次回最終回(俺の波乱に満ちた生活もやっと終る・・・涙)