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小泉修平の場合

「子供の自分を楽しむ・・・か・・・」
昼間の館内放送の、この言葉が妙に頭の中に残っている。
鏡に映る自分の・・・・懐かしい子供の頃の顔を見つめる。・・・メガネが大きくて落ちそうだ。
腕時計を見る。もうすぐ終業時間だ・・・。
今日1日何度このトイレの鏡を覗いたことか・・・・。何度覗いても・・・子供のままの姿・・・。
小泉修平39歳。7年前に結婚し現在妻・・・秋子と2人暮らし。秋子と付き合いだしたのも結婚したのも
彼女に押し切られたような形だった。

もちろん秋子のことは大好きだ。秋子は俺にないものをたくさん持っている。
積極的で明るくて、物事を良い方にしか考えない、楽天的な性格。「楽しむ」ことがとても上手い。
そのどれもが魅力的だった。・・・それに美人だ。
俺は・・・といえば外見も性格も地味。
秋子に俺のどこが好きなのか・・・と尋ねたことがある。
俺はかっこ良いとはとてもじゃないが言えないし、何か特技があるわけでもないし、話が上手いわけでもない。
俺のどこが気に入ったのか、謎だったんだ・・・。

秋子は一言
「あなたほどおもしろい人、いないから!」
・・・と満面の笑みをたたえて言った。

ますます謎は深まった・・・。


「おい・・・君は・・・小泉君か?」
突然後ろから声をかけられ俺はビクッとした。振り返ると少年・・・の姿の男性社員が立っていた。
誰だろう・・・みんな子供の姿だから誰なのかわかりにくい。
「はい。小泉ですが・・・あなたは?」
「大田原だ!」
・・・専務だ・・・。専務の子供の姿は・・・「イタズラばかりする悪ガキ」って感じだ。
俺の子供の姿は・・といえば「真面目なガリ勉」タイプ。そんなことをボーっと考えていたら、
専務がイライラした様子で言った。
「随分探したんだぞ!手間を取らせるな!」
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないだろう!この状態、何とかならんのか!」
・・・何とかならんのか・・・と俺に言われても・・・困る。
俺の肩書きは秘書課課長。大田原専務は何故か俺を気に入ったらしく何かと用事を言いつける。
かなり我侭で気難しい性格だ。俺はいつも振り回されている。
仕事とは関係ないような専務のプライベートのことでもこき使われる。
理不尽さを感じながらも・・・まあ、これも仕事のうちか・・・と割り切っていた・・・・。


しかし・・・子供の姿の専務に命令口調で話されると・・・・・・違和感を感じる。
大人の専務はそれなりに貫禄があった・・・・・・が今は見た目、ただの悪ガキ。


「おい!小泉君!・・・・今日どうするつもりだ?」
専務は急に声のトーンを落として俺に耳打ちした。
「はぁ?・・・今日?・・・・・・あ!!」
そうだ・・・今日の夜、専務は・・・愛人の林田紀子と会う予定だ・・・・。
・・・そう専務には3人の愛人がいる。奥様も子供もいるのに、その上愛人が3人も・・・。
俺には想像すら出来ない世界だ・・・。考えただけで疲れてくる。専務は63歳・・・・元気なことだ・・・。
専務は、3人の愛人の管理まで俺にやらせている。密会のお膳立てもさせられる。
レストランやホテルの予約、運転手までさせられたこともある。

「・・・どうしましょうか・・・」
林田紀子といえば・・・愛人の中で1番我侭で気の強い人だ。
予定をキャンセルしたら・・・さぞかしヘソを曲げるだろう・・・。専務の自宅に殴り込みする可能性すら
あるかも・・・。
「それを考えるのが君の仕事だろう!!!どうする気だ!」
怒鳴る、見た目『悪ガキ』の専務を見て・・・俺はいつもと違う感情に支配されつつあった。

『それを考えるのが君の仕事だろう』・・・違う、断じて違う。これは仕事なんかじゃない。

この程度のことは日常茶飯事。いや・・・もっと酷い事を言われている。
理不尽だな・・・と思いながらも・・・相手は専務だ。俺だって出世にまったく興味がないわけで
はないので我慢していた。・・・まあ、俺は・・よく言えば心が広く、悪く言うとかなり鈍感・・・なので
少々のことで感情を荒立てたりはしない。

そう・・・いつもならこの程度のこと・・・我慢できたのに・・・。

今日の俺は・・・・・違っていた。
専務が子供の姿だからかな・・・?




俺は子供の頃から人と争うことを避けていた。

人と競争することも苦手だった。

考えてみれば俺は今まで、自分を・・・自分の本心を誰かにさらけ出したことなんてないな・・・。

人と付き合う時、いつも境界線を作っていた。

拒絶されるのが恐かったから?

人と深く関わるのが面倒くさかったから?

・・・・・・・・自分に自信がなかったから?

・・・自信・・・。

だいたい、自信って何だ?『自分の価値・能力を信ずること』『自己を信頼する心』



こんなことを考えていたら、ボーっとしているように見えたのか専務がイライラしながら
大声で俺を罵倒し始めた。

「おい!何をボケッとしとるんだ!人の話を聞いてるのか?この役立たずが!」

・・・ああ・・・うるさいなあ・・・もう少しで考えがまとまりそうなのに・・・・。

「早く何か対策を考えろ!!のろま!」

・・・だからうるさいんだよ・・・あんた・・・・。

「だいたいお前はいつもモタモタしていて、段取りが悪い!そんなことで給料もらってて恥ずかしくないのか!」


・・・あんたのポケットから給料もらってるわけじゃない・・・それに、そんなこと、あんたにだけは
言われたくない・・・。

俺の頭の中でカウントダウンが始まっていた・・・・5、4、3、2、1・・・・・

「この大バカ者!」

ぷちっ・・・

専務のこの言葉を聞いた瞬間・・・俺の中で何かが切れた・・・。



「・・・ふざけるなよ・・・」

「・・・何?」
意外な俺の言葉に専務は聞き返す。もう誰も俺を止められない・・・


「ふざけんなっていってるんだよ!!このエロおやじ!!」


専務・・・予想しない展開に唖然とする・・・。俺はかまわず言葉を続けた。

「・・・君の仕事だぁ〜?・・・
どの口がそんなふざけたことぬかしてるんだぁ?ああん?
てめぇのこの生意気な口か?」


俺は思いっきり専務の・・・いや、自分の前にいるクソガキの頬をつねった。その後
胸倉を掴んで睨みつけた。


「何で俺がてめぇの愛人の世話まで焼かなきゃなんないんだぁ?このタコ!」


専務、怒りのあまり顔が段々赤くなってくる。
俺は掴んでいた手を離し、吐き捨てるように言った。

「今まで楽しんできたんでしょう?その後始末くらい自分でして下さいよ。子供じゃないんだから」

そして俺は専務を残してさっさとトイレから出て行こうとした。



「・・・クビにしてやる・・・」
専務の反撃。怒りで声が震えている。あらら・・・。

「私にそんな暴言吐いたんだ!覚悟は出来てるな・・・。後悔させてやるぞ・・・」
専務はじっとりと汗ばんだ顔で引きつりながら言った。
ケッ!何言ってんだか・・・・。

俺は笑顔で答えた。
・・・後日考えた時たぶんこの時の俺の笑顔は・・・悪魔チックなものだったに違いない・・・と思う。
「どうぞご自由に!そのかわり、貴方も覚悟して下さいね」
「何?」

「貴方のご家庭の平和と、この会社での地位、俺の手の中にあるって・・・わかってます?」

どうやら言われたことの意味を理解したらしく専務の顔の色が、赤から青に変る・・・ははっ、
信号機みたいだな。

そう・・・俺は専務の弱みを腐るほど知っている。今までそれを利用しようなんて考えたことも
なかった・・・今だって脅しているだけで本当に暴露する気はない・・・・。
まあ、相手の出方次第で気が変るかもしれないけれど。

「専務は俺を扱い易い便利な人間だと思ってたんでしょうね・・・でもね・・・」
俺自身も今日、気が付いた・・・

「人間って日々変わっていくものなんですよね」
俺、ニコッと笑って勢い良く歩き出す。

心も足取りも軽くなっていた。


廊下を歩いていると前から若い男が走ってくる。若い男性社員。・・・あれ?
この男、何で子供じゃないんだ?すれ違った時、俺はそいつを呼び止めた。
「おい・・・」

若い男は急に話し掛けられ、ビックリしたように足を止め、振り向いた。
「・・・はい?」
「何でお前だけ・・・子供の姿じゃないんだ?」
若い男は頭をかきながら困ったように答えた。
「自分でも原因がわからないんです・・・不思議ですよね」
「そうだよなぁ・・・・・・・・あれ?ちょっと待てよ・・・」
俺おかしくて笑ってしまう!
「お前が不思議がる必要、ないじゃないか!変なのは俺達子供組みだ」
若い男は一瞬きょとん・・・として、・・・つられて笑い出す。
「そう言われてみればそうですね!」
ひとしきり笑い転げた後、若い男は話し出した。
「・・・でも皆さんが、何で子供に戻ったのか一生懸命考えているように俺も考えなきゃいけないような
気がして・・・・・・何で自分だけ子供になれなかったのか・・・俺・・・何か・・・忘れているような気が
しているんです」
「忘れてるって・・・何を?」
「それがわからないから考えているんです」
若い男はそう言い終えてぺコリと頭を下げ歩き出した。
俺も自分の部署に戻るため歩き出し・・・・・もう一度足を止め振り返って若い男に声をかけた。

「なぁ・・・昼間の放送で話をしたの・・・お前だろ?」

若い男も足を止め振り返った。
「はい・・・そうですが・・・」


俺はこの若い男が何て答えるのか知りたくなった。


「お前はさ・・・『自信』って・・・何だと思う?」




俺の質問に若い男は少しの間首をかしげて考え、そして笑顔で答えた。




「自分で自分を好きになることだと思います」






俺は秘書課に戻り、自分の席でしばらく考え込んでいた。

『自分を好きになること』・・・・か・・・・。
若い男が言ったこの言葉が・・・何だかとても心に響いた。

自分を好きになる・・・。なるほどね・・・。
俺はクスッっと笑い、壁にかかっている時計を見る。よし!あと5分で終業時刻だ!


秘書課の部下達は自分達の運命がどうなるのか、不安で頭を抱えて考え込んでいる。
女子社員の中には泣いている者もいる。


俺は大声で叫んだ。


「今日は飲みに行くぞ!!俺のおごりだ!!!喜べ!!」




部下達がびっくりして一斉に俺を見る。
そりゃそうだな・・・こんな状態で、しかも、まさか俺の口からこんな言葉が出るとは
夢にも思わないだろうから・・・。
しばらくすると男性社員の一人が
「・・・酒はヤバイんじゃないですか?・・・俺ら今・・・ガキだし・・・」

「・・・あ・・・そっか・・・」

この間の抜けた会話が・・・みんなの気持ちを少し和らげたようだ。
クスクスと笑いがおこり・・・・最後にはみんなお腹を抱えて笑い転げていた!
俺も笑った。何だかとても嬉しくて楽しくて、変な気分だった。

・・・とても幸せな気持ち・・・。

難しいことは明日考えよう。とにかく今はこのおかしな状況を笑い飛ばしてしまおう。

俺にこんな一面があったなんて・・・自分でも意外だ。

『貴方ほどおもしろい人はいない』

秋子は知っていたのかな・・・・・まあ、どっちでもいいや。
地味な性格万歳!鈍感だっていいじゃないか!!かっこ悪くて何が悪い!!
俺は俺以外の何者にもなれない。理想の自分は、はるか彼方遠いけど
・・・・今日は自分のことを・・・・ちょっとだけ、好きだと言える。


「よーし!酒がダメならみんなでお子様ランチやプリンアラモード食べに行こう!!
今日はいくらでもおごってやるぞ!!」


俺の声に部下達は歓声を上げた。



そして・・・終業ベルが鳴った・・・。

2001.3.22

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