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安田源二の場合

「子供の自分を楽しみながら・・・」
安田源二はため息をついた。私は明日定年を迎える。その前日にまさかこんな事態になるとは
思いもよらなかった。
この会社に入社して必死に働いてきた。家庭を顧みずただひたすら働いた。
そんな私がこの資料室に配属されたのは2年前。
この部署は、はっきりいって「辞めて欲しい」・・・と会社が思っている人間が配属される・・・・。
地下1階、窓もなく狭くて息が詰まりそうな室内。それぞれの机とロッカー、小さな給湯室。
あとはダンボールやら備品にうもれている部屋。
私は「何故自分が・・・」と考え続け、答えも見つからないまま明日定年を迎える予定だった。
家族は妻と娘2人・・・娘は数年前に嫁に行き現在は妻と2人の生活だ・・・。
仕事人間だった私は気が付いた時には家族から孤立していた。考えてみれば、この部署に
配属になるまで、家族と過ごす時間があまりにも少なすぎた。
ここにきて残業がなくなり、(この部署は残業禁止)早く帰るようになった私に妻は少し困っている
様子だ。妻はたくさんの趣味を持っているようで、毎日忙しくしている。友達も多くて毎日予定が
びっちり詰まっているようだ。・・・なので早く帰ってくる私をあまり歓迎してはいないようだ・・・。
私は・・・というと無趣味。ゴルフも仕事の付き合いで必要だからこそやっていたし
あまりにも会社のための時間が多く、学生時代の友人とも連絡をとらなくなって、もう
何十年経つだろう・・・。

こんな私が定年を迎えて・・・・いきなり自由な時間を与えられても何をして良いのか・・・何をしたいのかも
わからない。妻ともどう接したらよいのか・・と頭を抱えていた。

「安田さん、お茶、飲みます?」
私の唯一の部下・・・川上拓海はやけに明るい声で話し掛ける。
現在資料室は私と、この前代未聞、入社3年目にして早くもここに配属になったこの川上だけだ。
「君はなんでそんなに楽しそうなんだ・・・?」
私は不思議で、つい聞いてしまった。
川上はニコニコしながら言った。
「だって、めったにこんな経験出来ないっスよ!!楽しいじゃありませんか!」
私はあまりの答えに・・・開いた口がふさがらなかった・・・。
ロッカーの鏡を見ながら自分の子供姿を楽しげに眺めるこの部下が・・・不思議でならなかった。

この男、噂では入社当時から何かと問題のある社員で、上司からも嫌われていたようだ。
「本音」と「建前」・・・彼の行動、言動、すべて「本音」のみであったようだ。あまり真面目な性格でも
ないらしく、時々無断欠勤もしていたようだ。そして何か大きめのミスをしてここに異動になったと聞いた。

川上が来てからというもの、私は驚きの連続だった。

この部署には仕事があまりなく、当然、やり甲斐なんかあるはずもない。
ここに配属になり落胆し、追い詰められ会社を辞めていった社員を何人も知っている。
なのに、この川上という男は
「楽して給料もらえるなんて最高っスよ!ここ!」
と興奮しながら嬉しそうに語った・・・・・・。
とにかく川上は毎日が楽しそうだ・・・・・・・。私は一生この男を理解出来ない・・・そう思っていた。




「安田さんは子供になれて嬉しくないんですか?」
川上が私にこんな質問をした・・・・嬉しいわけないだろう・・・と言おうとした時、
いきなり手を引かれ、ロッカーの鏡の前に連れて来られた。
「安田さん、子供の頃可愛かったんですね!!」

か・・・可愛い・・・???
今日何度も自分の子供の姿を確認したものの、出るのはため息と不安ばかりでそんな風に考えなかった。
・・・まじまじと自分の姿を観察する・・・・。あ・・・・髪の毛・・・ふさふさ・・・。
私は随分前に髪の毛は8割くらいハゲていて、残った髪の毛も最近白くなり始めていた。
久しぶりに黒々したふさふさ髪の自分に少しみとれてしまった・・・・。
肥り気味で顔もしわが多かった。それが今肌は若々しく鏡に映る自分は元気いっぱいの少年の姿。
子供姿の川上は私より少し背が高く、ちょっと生意気そうな少年姿だ。

「安田さん!!外に遊びに行きませんか?」
突然の提案に私はすぐには返答できなかった・・・。

「し・・・しかし、こんな姿で外には出られないでしょう・・・?」
やっとの思いで答える。川上は少し考え・・・何かを思いついたような表情をした。
「このスーツ姿さえ何とかできれば良い訳ですね!」
そう言った時、部屋のドアが開いた。そっと顔を出したのは・・・・大人の若い男・・・。
この会社の社員らしいが・・・なんでこの男だけ・・・子供にならなかったんだ?

「・・・あのお昼のおにぎりお持ちしました・・・」
部屋に入ってきた男はそう言いながら机に4個コンビニのおにぎりを置いた。
川上も私と同じ疑問を持ったようで即座に質問した。
「何でお前だけ大人なんだ?」
若い男は少し笑って答えた。
「・・・今日何度も聞かれました・・・自分でもわからないんです・・・」
私はここで気が付いた・・・この声・・・放送で話していた男の声だ・・・・。

『子供の頃の自分に戻ったつもりで・・・』

・・・この若い男は何故あんなことを言ったのだろう・・・・聞いてみたかった・・・
川上もそう思ったらしく・・・・

「あの放送したのお前だろう!!」

・・・私はその続きの展開を興味津々で聞いていたら川上は
「お前!良いこと言うなぁ!!俺もそう思っていたんだ!」
と笑いながら勢い良く若い男の背中を叩いた。

ずる・・・・。私は肩を落とした・・・まったく・・・若い者が考えることはわけがわからない・・・。
背中を叩かれ苦笑いする若い男に川上は言葉を続ける。
「そうだ!お願いがあるんだけれど・・・!」
「なんですか?」
「俺たちに合う、子供服、買って来てくれよ!!」
若い男はきょとんとし、私はギョッとした・・・・。
まさか・・・こんな状況の時に本気で遊びに行くつもりなのか・・・・?




川上は本気だった・・・。私は抵抗したが・・・・結局、今川上と新宿に来ている。
「補導されないように気をつけなきゃね!」
川上は楽しそうにどこに行こうか考えている。一方私の足は重たい・・・・。
「ゲーセン行きましょう!!ゲーセン!!」
・・・・私が行ったこともない所だ・・・・・・・。
ゲームセンターの館内は騒がしく私は軽い眩暈を感じた・・・。
川上は既にゲームに熱中している。私は何をどうしたら良いのかわからず
しばらくウロウロしていたら・・・今の自分よりもっと年下の・・5歳くらいの小さな女の子が
可愛い人形のたくさん入った・・・ゲームの前に立っていた。
こんな小さい子が一人で・・・・?どこかに親がいるのかな・・・・?
そんなことを考え少女を見つめていると少女がふいにこっちを向き、ニコっと
笑った。
「お兄ちゃん・・・これ取って〜!!」
「・・・え?これ・・・ってこの人形??」
私は・・・困ってしまった・・・。少女は私の手を握って離そうとしない・・・。
このゲームは・・・ここにお金を入れて・・・ああ・・・ボタンを押すと中の
人形を取るための機械が動く。上手くはさめれば品物が手に入るのか・・・・。
気が付くと私は・・・熱中していた・・・。何度やっても上手くいかず・・・・これで
何度目の挑戦だろう・・・・・・・・・。おっ!今度は上手い具合にはさめて・・・・・
徐々に品物を出すための穴に近づいていき・・・・・・・取れた!!

「やった!!!」
「やった〜!」
「やりましたね!」
同時に、私の声と、少女の声と・・・・・あ、川上の声・・・・・・。
少女に戦利品の人形を手渡したと同時に少女の母親らしい女性が駆け寄って来た。
「真由美ちゃん!!探したわよ!!」
どうやら買い物の途中はぐれてしまったようだ。
「このお兄ちゃんがお人形取ってくれたの!!」
母親に抱かれた少女は私の方を指差して言った・・・。
「まあまあ・・・それはありがとうございます!・・・あら・・?」
少女の母親は私の姿を見て首をかしげた。
「あなた達・・・こんな時間になんでこんな所に?学校は?」

その瞬間、私は川上にすごい勢いで腕をつかまれ、・・・走り出していた・・・・。


「ヤバかったっスね〜!!」
狭い路地に逃げこんだ私たちは全速力で走ったので
肩で息をしていた。
私は答える気力もなく座り込んだ。川上が私を見ながら笑った。
「安田さん、すっげー楽しそうでしたよ!さっき!」
私は・・・いつの間にか・・・川上が側にいることすら気が付かないほどゲームに熱中していた自分を
思い出して恥ずかしくなり赤くなった・・・。
でも・・・確かに・・・楽しかったな・・・・・・。

「さて!次は何しましょうかね!!」
川上の、このパワーには・・・本当に感心する・・・・。
と、前を高校生と思われる女の子が2人、通り過ぎていく。2人ともとてもかわいらしく・・・あれ?この子達
学校は・・・・?
「うわ!!かわいい!!」
そう言うと同時に川上は少女たちの所へ走っていき・・・・・・・ナンパ?・・・し始める・・・。
おいおい!!・・・私は冷や汗をかきながらその光景を見守っていた。

「ちっ!つまんねえな!!」
どうやら振られたらしく頭をかきながら私のところへ戻ってきた。
「女子高生に警戒されずにお近づきになれるチャンスだと思ったんだけどな・・・相手にされない!!」
それはそうだろう・・・・・いくらなんでもこんなガキじゃあ・・・。
私はそんな川上を見ていたら何だかすごくおかしくなってしまって
思わず吹き出してしまう。
「安田さん!!そんな思いっきり笑うことないじゃないっスか〜!!」
そう言いながら川上も笑い出していた。


川上と私はいろんな所へ行った。子供向けのアニメ映画を観たり(わけわからなかった)、
ハンバーガーを食べながら道を歩き、デパートのおもちゃ売り場に入り浸ってみたり、
思いっきりはしゃいだ。

気付いた時にはもう夕方になっていた・・・。

「川上君・・・そろそろ会社に戻らないか?」
川上は少し考えた後
「・・・そうっスね・・・あの後みんながどうなったか気になるし・・・でも俺らはまだ子供のまま
ってことはみんなもまだ元に戻ってないでしょうね・・・・」
「・・・そうだな・・・」
会社へ帰るために駅に向かう途中、旅行代理店が目に入る。いろいろな旅行のパンフレットが
店先に置いてあった。私の足が止まる。
川上はそんな私を見て首をかしげる。
「旅行、行きたいんですか?」
「・・・いや、そういえばゆっくり旅行に行ったこと、なかったなと・・・思ってな・・・」

突然、
川上は何を思ったか手当たり次第パンフレットを2冊ずつ集め始め、そのうち1セットの
束を「はい!」と私に渡した。私が唖然としていると、こう言った。
「チャンスっスよ!安田さん!!今なら俺ら子供料金で旅行出来るっス!!」

・・・私は・・・死ぬほど笑った・・・・・。


会社に戻り館内の様子を確認する。まだみんな子供のままだ。
資料室に戻り、私はため息をつく・・・。このまま戻れなかったらどうしようか・・・・・・・。

旅行のパンフレットを見て、クスッと笑う。

この姿のままで帰って妻をびっくりさせるのも楽しいかも・・・・そう思った。

妻はどんな顔をするだろう。案外うらやましがるかもしれないな・・・・「一人だけ若返って
ずるい!!」・・・とか責められそうだ。

そして旅行の話でもしようか・・・一緒に旅行でも行こう・・・・・。きっと楽しいはずだ。


「はい!安田さん!!」

川上が小さな紙切れを私に差し出す。紙には・・・携帯電話の番号らしき数字が書いてある。
私が首をかしげているとニコニコ笑いながら言った。
「俺らもう親友でしょう!!」

意外な言葉。
「・・・え?」

「こんな異常な状況で遊びまわったんだから、もう親友になるしかないっスよ!!」
訳がわからない理屈を言って、さも当然というように微笑む川上・・・・。
私はおかしくておかしくて息が出来ないくらい笑った。
川上・・・・本当にお前は・・・・・・・!

恐いものなしの・・・幸せ者だ!!




私に・・・・・久しぶりに、新しい友達が出来た。


そして・・・終業ベルが鳴った・・・。

2001.3.25

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