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最後の贈り物

始業ベル

「今日も暑くなりそうだな・・・」
ビルの屋上で真夏の青空を見上げながらそうつぶやいてみる。
森山賢治24歳。独身。株式会社ミナモトサービスの入社2年目の社員。ここは自社ビルの屋上。
そろそろ始業ベルが鳴る時間だ。俺は階段を下り、下のフロアに出た。
既に仕事を始めている者、お茶をすすりながら新聞を読んでいる者、給湯室でおしゃべりを
している者、いつもと何ら変らない朝の風景。

そして始業ベルが鳴った。
・・・俺にとっても、この会社の全社員にとっても忘れられない1日が始まった・・・。


ベルが鳴り終わり、俺は自分の目を疑った。さっきまでの日常的な風景が一転、
とんでもないことになっていた

みんなが・・・子供になっていた・・・。
フロアの社員全員。10歳前後の子供。部長も課長も係長もヒラ社員もみんなみんな。
一瞬フロア全体がシーンと静まり返り、お互いの姿を確認し、その後自分の姿を
確認し、その後みんな悲鳴を上げた。その悲鳴で俺も我に返り自分の姿を給湯室にある
鏡に確認しに行った。
が、鏡に映った自分の姿はいつもと変らず24歳の姿だった。
俺は安堵のため息をつき、パニックに陥っているみんなを眺めていた。
しばらくすると落ち着きを取り戻す者も出てきたので俺はそれを見計らって
冷静に考え始めている社員に声をかけた。
「あの・・・あなたは・・・」
みんな子供になってしまったので誰が誰だかわからない。恐る恐る聞いてみる。
「あ・・・・あれ?何でお前は変っていないんだ?」
すっかり少年の声になってしまった社員。何で、と言われても困る。
「それを言うならば何でみんな子供になっちゃったんだ?・・・だと思うんですけど・・・」
「・・・そりゃそうだ。」
納得したように少年は苦笑いをした。そしてダブダブになったワイシャツの袖とズボンの裾を
折りながら少年は俺に指示を出した。
「俺は中村。課長だ。悪いけどお前、他のフロア行って様子を見てきてくれないか?
俺は落ち着いてる奴集めて・・・とにかくこの状況について話し合ってみるから」
か・・・課長だったのか。しかし、言ってることと姿とのギャップが激しい。
とにかく俺は指示通り全社の状況を調べまわった。・・・結果、この会社の俺以外の
全社員が子供になってしまったことがわかった。

俺が中村課長に状況報告する頃にはさすがに全員この状況について考え出す程度まで
落ち着きを取り戻していた。

俺はこの後、今まで生きてきてこんなに人にもてたことがない・・・というぐらいみんなの人気者
になった。何故って、この会社内唯一の大人・・・なわけだから、お客様や取引先との打ち合わせ
等の予定のキャンセル。クレームの電話の対応、来客者の対応、すべてやらざるをえなかった。
子供の姿や声で対応することなど出来るはず・・・ないもんね・・・。それどころか俺以外外に出る
ことすら出来ない。
もう俺は引っ張りだこ。始業開始から1時間経つ頃にはヘロヘロになっていた。

ひとしきりの電話と来客の対応が終わり、(電話は途中から休日用の留守電に切り替えてしまった)
ホッと一息ついた時、心の中に湧き出る想いがあった。
俺は総務部に行き、全フロアに放送を流したいと頼んだ。対応してくれた女の子・・・いや女子社員は
怪訝な表情をしながらも準備をし、マイクを俺に手渡してくれた。
俺は落ち着くために深呼吸をしてからマイクのスイッチを入れた。

「・・・あの・・・皆さん。・・・ちょっと聞いていただけますか?」
このフロアのみんなが一斉に俺に注目した。たぶん他のフロアではスピーカーに注目しているだろう。
「・・・何故子供の姿になってしまったのか・・・を考えるより、子供の頃の自分に戻ったつもりで
この状況について考えてみてはどうでしょうか?」
みんながざわめきだしたが俺はかまわず言葉を続ける。
「子供に戻れる機会なんか、もう2度とないんですからせっかくなら楽しんで原因を考えて
みませんか・・・?子供の自分を楽しみながら・・・」
そう言い終えて俺は静かにマイクを切った。

子供の自分を楽しみながら・・・不思議と俺はそうすれば答えが出るような気がしていた。

そして俺自身は考えなければならないことがあった・・・。

なんで自分だけ子供に戻らなかったのか・・・ということを。

2001.3.20

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