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対決(前)

目的の駅を降りてオフィス街を抜ける。
大晦日の、しかも夜のオフィス街は人の姿もほとんどない。
賢一の靴音だけが聞こえる。

しばらく歩いた所でビルの建設予定地らしい広い敷地が見えてくる。
作業が既に始まっているらしくベニヤ板やビニールシートのような物で周りは囲まれていて
立ち入り禁止の看板が立てかけられている。

『Kビル建設予定地』
・・・間違いない。
場所を確認した後賢一は中に入れそうな場所を探す。
囲いのシートの部分から容易く入ることが出来た。

中に入ると、雑然としていた。とても広い敷地内にいくつかのプレハブの建物があり
いたる所にいろいろな資材が置かれていた。
地面はコンクリートで埋められている部分と土のままの部分と、板が敷き詰められている所と様々だ。
灯りは真上から差し込む月明かりのみで目が慣れるまで時間がかかった。

誰もいない建設現場。


敷地の中央部分まで歩き、立ち止まる。
腕時計を見る。

PM10:58

もうすぐ約束の時間だ・・・。
賢一は自分の心臓の鼓動を聞きながらその時を待った。

周りの気配に耳を澄ませる。


PM11:00
賢一の腕時計が約束の時を知らせる。






「・・・約束通りちゃんと来てくれて嬉しいよ」

賢一の背後で声がした。

『あの男の声だ!!』
すぐにわかった。
すぐさま後ろを振り返って身構えたいのに体は凍りついたように動かない。

後ろから男が徐々に近付いてくる気配がする。

男の気配が賢一の真後ろで感じられた。

「こっちを向けよ」
とても近くからの男の声。
賢一はまるで男に操られているかのようにゆっくりと振り返った。



目の前にいる男の姿が賢一の瞳に映る。

初めて会った時と同じ黒いコートを着ている。
でも、今日はサングラスをしていない。
素顔の男・・・・。

賢一より一回り体格の良いその男の顔は一見真面目そうな物だったが
瞳の奥に凶暴な炎を宿していた。
見ているだけで恐怖を感じてしまうような冷たい眼差し。


「・・・俺が怖いのか?あんたほどの男が何て顔しているんだよ。」
男の微笑み。


賢一は混乱する頭の中で必死で考える。
どうするのが1番時間稼ぎ出来るのか・・・。

「勝負って・・・どうすればいいんだ?」
・・・・声が震えないように気持ちを押さえ言った。

「ルールなしの勝負。どちらかが死んだら終了だ。それでいいな?」

賢一は少し間をおき頷いた。

男は多分銃を使うだろう・・・・賢一はそう思っていた。
男の方も、賢一は当然銃を使うだろうと思っていた。
男は賢一に対して大きな誤解をしていたからだ。

賢一は・・・当たり前のことだが拳銃なんか触ったこともないし当然撃った事もない。
だいたい銃という代物の現物を見たのだってこの殺し屋が手にしていたのを目撃した時が初めてだ。
男は賢一の実力に興味を持っている。だからこそこんなに執着して勝負までしようとしているのだ。
「俺は殺し屋でもなんでもない、ただの一般人だ!」と叫びたかったが
そんなことをすれば男は賢一という人間に落胆し、それこそ1発で殺されてしまうだろう。

『いつまで騙していられるだろう・・・』
賢一の胸は緊張で張り裂けそうだった。



「・・・今夜は素顔なんだな・・・」
賢一はわざと軽い口調で話をし出した。

「どういう意味だ?」
「あの夜はサングラスをかけていただろう?」
男の表情が強張った。
賢一は挑むような眼差しで笑いながら言葉を続ける。
「マンションの屋上で俺達のこと狙っていただろ?コートの内ポケットには彼女の写真が入ってたっけな」
賢一が初めて男と会った夜のことだ。
時間が止まっている時の出来事。
男にとって賢一の言葉は信じられないような衝撃的な物だった。


『こいつはあの夜俺の側にいたのか・・・?』
男は賢一の話を聞き愕然とした。

気がつかなかった・・・・。
賢一の気配に気がつかなかった・・・・・・時間が止まっていたのだから
当然なのだが男はそんなこと知らない。


男は徐々に冷静な心を失っていった。


賢一はちらっと腕時計を見た。

PM11:19
心の中で時間が経つ遅さに舌打ちする。


その時、賢一の胸倉に男が掴みかかった。
いきなりの事で何も出来ず、そのまま左頬を思い切り殴り飛ばされ地面へ仰向けに倒れた。

「・・・っつ!」
口の中に血の味が広がる。
運がいいことに地面は土で叩き付けられた衝撃は軽かった。
それでも殴られた痛さのために身を起こす動作が遅れた。
そんな賢一に男は馬乗りになって覆い被さり身動きを取れなくし、首を絞め始めた。

「言え!!あの夜どこから見ていたんだ?どんな方法で俺に近付いたんだ!!」
男の目には殺し屋としてのプライドを跡形もなく崩された屈辱感と賢一への恐怖に似た感情、
そしてそれを上回る激しい怒りが込められていた。

「・・ぐっ・・」
賢一は息が出来ず夢中になって男の腕に縋り付き引き剥がそうとする。
でも男の腕はビクともしない。

足をばたつかせたり体を動かそうとするがどうすることも出来ず『もうだめだ・・・』と
諦めかけた時、男の力を込めていた手がゆるんだ。

必死で息をする。


「すまんすまん。それじゃ話したくても話せないよな」
男は不気味な微笑を浮べ賢一の頬を撫でた。

ぞっとするような微笑。
賢一は恐怖で身を震わせた。

男はコートのポケットから小さなナイフを取り出した。
闇の中鈍く光る。

ゆっくりと賢一の左頬にスーっとナイフを滑らせた。

「時間はたっぷりあるんだ。ゆっくりと話をしてもらおうか」

ナイフの通った跡は一筋の赤い線となった。
















優希はなかなか戻らない賢一を心配し門の前で待っていた。
ジョルジュもその傍らで寄り添うように
座っていた。


「そろそろ家の中へ入ってください」
なるべく邪魔にならないように警護していた警察の人が11時を過ぎても外に出たまま家の中へ
入ろうとしない優希へ注意をする。
まだ若い20代の男だ。
優希はその男にポツリと言った。
「・・・賢一様がこのままいなくなってしまったら私・・・・」

優希の頬を涙が伝う。


八重子は温かい紅茶をお盆に乗せ優希の所へ行こうとしていた。

外に出て・・・ふと駐車場の方へ目が行った。
目を凝らす。確かに1番隅に置いてあった賢一の車がなくなっていた。


「・・・・・賢一殿・・・・・」
八重子はどうしようもないほどの不安感に襲われた。








同じ月明かりの下で・・・賢一はたった一人で戦っていた



現在の時刻PM11:28



2001.9.9