らすとばとるA
| 魔物に連れ去られ、古城の一番高い塔に幽閉されたお姫様。 俺は無数の敵と戦っては薙ぎ倒し、ようやくお姫様の許へ参上し、手を差し伸べる。 「助けに来ました。もう怖がる必要はありません。さあ、一緒に外の世界へと参りましょう!」 爽やかに笑うが、対する姫の返答は…。 「遅ーーーーーい!待ちくたびれて死ぬトコだったわよ!この役立たず!!」 キツイ言葉と同時に、お姫様の右手が飛んできて、左頬に鋭い痛みを感じる。 「痛ってぇーーー!」 俺、叫んで左頬を手で押さえる。 …と。 「みゃう〜。」 耳元で愛らしい猫の鳴き声がする。 俺は目を開け、のろのろと身体を起こす。 ああ、ここは古城なんかじゃなく、見慣れた俺の部屋の、俺のベッドの上。 窓からは爽やかな朝日が射しこんでる。 …どうやらさっきのは夢だったらしい。昨日拾ってきた猫が腹空かして俺の頬を引っかいたんだな…。 頬を押さえた手の平を見てみると、薄っすらと血がついてる。 「…これがご主人様に対する態度か?」 飯をよこせとかけ布団の上によじ登ってくる猫を睨む。 …こいつの名前考えなきゃな。 とりあえず、冷蔵庫の中には…ハムがあったので、それを猫にやる。 「はぐはぐ」って一心不乱にハムを食べる猫を見ながら、先ほどの恐ろしい夢のことを思い返す。 あの乱暴者のお姫さま…香苗に似てた…。 思わず笑ってしまう。 「香苗が囚われの身だって?あいつは大人しく虜になってる奴じゃねーだろ。」 俺の独り言に、猫が耳をピクンとさせて反応する。 猫はメス猫で、とても気が強そうだけど、綺麗なビー玉のような目をしている。美猫だ。 お腹が一杯になると、もうお前には用はないってな素振りで、毛づくろいを始めている。 「…お前の性格、香苗に似てるなぁ。」 俺は、この態度のでかい猫を『姫』と名づけた。 昨日宣言した勝負。今日から行動開始だ。 通勤電車の中で気合を入れるが…行動って言っても何をどうすりゃいいんだ? …まあ、とにかく接しなきゃ何も始まんないもんな! 明日は土曜日だし。デートにでも誘おう!!出来れば日曜も会えればいいな。 残された時間はあんまりないんだ。なりふりなんか構ってられっか。 あれこれと考えているうちに職場へ到着する。 「おはようございます。」 元気良く挨拶して席につくと、先に出社していた香苗が挨拶し返してくれた。 「おはよう〜。昨日はありがとう。椎名君。」 人の目があるので猫かぶりな笑顔を向けてくる。 「あら?どうしたの?その頬の引っかき傷。」 「飼い猫に引っかかれました。どうにも我侭な猫で振り回されてます…。」 香苗は笑いたいのを堪えるように口元を引き締め、その後、小声でコメントする。 「猫に負けててどうすんのよ。」 呆れたような笑みを浮かべていた香苗、その後、表情を幾分か硬くする。 「…企画部、今日もピリピリした雰囲気よ。」 そう言って、香苗は軽く後ろを向いて、背後の企画部のブースを見る。 あ、本当だ…。楠木先輩はまだ始業ベルも鳴らないのに黙々と仕事をしていて、その横で課長が困惑気味に立ち尽くしている。楠木先輩の背中に、誰も話しかけられないほどの『拒絶』ってオーラが張り巡らされている。 課長の手には白い封筒が収められていた。 何だろう? 俺はしばし企画部の様子に気を取られていたが、肝心なことを思い出す。 勝負。勝たなきゃ。 楠木先輩を凝視している香苗に話しかける。 周りに気が付かれない様に細心の注意を払って…。 「香苗。」 「何?」 「明日さ、2人でどっかに…。」 『出かけないか?』と言いかけた時、伊藤専務がフラっとフロアに現れた。 香苗の方が先に気がつき席を立つ。 「おはようございます。」 笑顔で挨拶し、給湯室へと向う。多分伊藤専務用のお茶を入れに行ったんだろう。 俺も慌てて挨拶をする。 「おはようございます。」 「お!君は新人の椎名洋介君だね?」 伊藤専務は上機嫌のご様子。俺の隣の、まだ来ていない先輩の席にドッカリ座り、俺の背中を叩く。 …俺の名前、フルネームで覚えててくれたのか…。 伊藤専務は、歌声はみんなに恐れられているが、人柄は陽気でちっとも偉ぶらず、気さくな人だ。 年齢は確か60歳は軽く超えてるはず。ふくよかな体つきで、笑った顔は福の神のようだ。 外見は年相応なんだが、とにかく気が若い。 「わしは人の名前を覚えるのが苦手だか、君の名前はすぐに覚えたよ。」 「え?」 「入社式の時、そうとう腹空かせていたらしいからな。」 …ああ、なるほどね。 それで覚えてくれたってわけだ。 「専務。昨日も遅くまで歌ってらっしゃったんですか?」 給湯室から戻ってきた香苗が、専務好みの渋そうな緑茶を机に置き、尋ねる。 「みんなわしの歌声に痺れて泣いておったわい。」 …なんつー強引な解釈の仕方だ…。 俺も香苗も渇いた笑い声を上げた。 「おはよう。今日は暑…。」 営業部の坂田部長が、ハンカチで汗を拭き拭き出社してきたが、伊藤専務の顔を見て笑顔が固まる。 「おう!おはよう。」 伊藤専務は軽く手を上げて朝の挨拶する。 対する坂田部長はどこか尻込みしている。 「お、おはようございます。昨日はうちの若い者を飲みに連れて行って下さったそうで…。」 伊藤専務のご機嫌な笑顔を見て、最悪な事態を予想しているらしい。 「ああ。今日も連れて行きたくなったぞ。今日は坂田君と椎名君、それと宮内君で飲みに行くか。」 部長と香苗と俺、蒼白になる。 …い…いよいよ俺も伊藤専務の歌声初体験か?! 程よい緊張感を抱えながら、この日は客先回りで追われ、社に帰ったのは4時過ぎだった。 俺は電車賃などを精算しに経理部へ急ぐ。 「はい。1560円。」 領収書、伝票と引き換えに現金を渡してくれる女性。 経理部の田鍋さん。もうじき定年を迎える女性だ。 小柄で地味な外見。いつも淡々と仕事をこなし、表情の変化がない。 この人の前だととても緊張する。何故かと言うと、とても細かいチェックが入り少しでもミスがあると受け付けてもらえないという噂なんだ。 色んな部を渡り歩き、最終的に経理部に席を置いている。 経理に来る前は営業部にいたらしく、色んな話を聞いてる。 当時、田鍋さんに事務処理を頼む時はみんな気を引き締めたらしい。 彼女にはほんの些細な『なあなあ』も許されず、きちんとした段取りで仕事を渡さないと受け付けない。 でも、彼女がいったん引き受けた仕事は、非の打ち所もなく、計算ミスも誤字脱字もない完璧なものだそうだ。 相手の役職など関係なく意見し、自分の仕事を全うする田鍋さんにみんな一目おいている。 中には煙たがってる人もいるけどね この後、事務をこなしているとすぐに定時になってしまった。 予告どおり伊藤専務は意気揚々と営業部に現れ、部長と俺と香苗は有無を言わさず連行された。 雑居ビルにある小さなスナックで、8人も入れば満席状態になってしまう。 「いらっしゃい。」 スナックのママさんはおっとりとした女性で、40歳前後だと思われる、とても優しげな人だ。 着物姿で俺たちを出迎えてくれた。伊藤専務はここの常連らしい。 俺たちが何食べずに来たことをわかっているらしく、水割りを出すとすぐに炒飯と焼きソバも出してくれた。 「気楽に食べて飲んでくれ。ここの料理はうまいぞ!」 とりあえず乾杯して、食べ始める。 専務が言うとおり、とても美味い!! …食べものはともかく…ここいらで専務の歌が始まるのでは?と、俺たちは互いに目配せしながら専務を見ていた。 が、専務はなかなか歌いださず、水割りを飲みながら何やら真剣な顔をしている。 「せ、専務。今日は歌われないんですか?」 坂田部長が恐る恐る尋ねる。と、専務は少し曖昧に返事をして顔を上げ、真正面に座る香苗を見る。 「宮内君。」 「…はい?」 突然話しかけられ、香苗は箸を止める。 「小耳にはさんだんだが、園田君と婚約したってのは本当かい?」 「あ、正式にはまだですけれど…。」 香苗は控えめに、ちょっと照れた感じで答える。 「結婚したら、会社辞めるのかい?」 「……。」 香苗、何故か黙り込む。同期には即答で『辞める』と答えていたのに…。 「…だとしたら…惜しいのぅ…。」 専務は顔を上げ、遠い目をして呟くが、戸惑い気味の香苗の様子を見て、慌ててニコッと笑う。 「まあ、とにかくおめでとう!」 専務は立ち上がる。 「ようし!宮内君の未来を祝して今夜は歌いまくるぞ!」 専務、いきなり大張り切り!絶好調で『結婚』に関係ある歌を片っ端から歌っていく。 …歌声は確かに酷い音痴で…でも、そんなことよりも…。 専務との会話で香苗が見せた反応が、とても気になっていた。 3時間ほどでお開きになり、俺と香苗は一緒の電車に揺られていた。 けっこう水割りを飲んだわりに、あまり酔ってはいない。 俺は隣に座る香苗の顔を見る。 俯いたままずっと何かを考え込んでいる…。 「なあ、香苗。明日の土曜、暇か?」 「え?」 「暇なら俺とデートしないか?」 「あんたとデート?」 香苗は一時訝しげな顔で俺を見ていたが、ニヤリと笑う。 「いいわよ。デートしてあげる。」 「ラッキー♪」 思わず声に出して喜んでしまう。 ホント、ラッキーだ。来週の休みに香苗は園田課長の両親に挨拶しに行く。 その前に何とか聞き出せないものだろうか…と、思っている。 香苗が何を考えているのか。何を迷っているのか…。 と、いきなり香苗が堪え切れなかったって感じで吹き出す。 「何だよ。」 「だって、あの洋介がデートだなんて!!」 香苗、笑い声を押し殺し、肩を震わせている。 「『あの洋介』って何だよそりゃ。」 そんなにおかしいのかよ? そうこうしているうちに俺の駅に到着してしまう。 「じゃあ、明日の朝電話するから。」 俺が立ち上がり、降りようとすると、何故か香苗も立ち上がる。 「香苗?」 「ねえ。もう少し飲んで帰ろう!前に行った居酒屋のモツ煮込み、美味しかったし!」 「あ?…ああ。別に良いけど…。」 半ば香苗に引きずられるように以前入った駅前の居酒屋へ直行。 香苗は終始、昔話に明け暮れ、やけに陽気で…閉店間際まで絶好調で飲み続ける香苗の勢いに俺はただ圧倒されていた。 店を出た時には香苗はすっかり酔っ払っていて、ただでさえ強引な女王様ぶりに拍車がかかる。 「洋介。あのさ。昨日拾ってきた猫、今あんたの部屋にいるの?」 俺の背中をバンバン叩きながら質問する香苗。痛いってば…。 「いるよ。あの猫、誰かさんに似て態度でかくて……って、おいっ!!」 俺は香苗の突然の行動に驚く。 香苗は俺の左腕に自分の右手を絡ませ力強く引っ張っていく。 「猫に会いたい!洋介の家で3次会決定!!」 左手で前方を指差し、俺の家とは逆方向へ歩き出す。 「香苗、俺んちそっちじゃないって。あっちだって。」 必死で指差す。 「そういうことは早く言いなさいよね!」 睨むな〜。 言うタイミングを与えず行動してんのはお前だろ! しかし…今、もう11時過ぎてるぞ。 お前のことを好きだって宣言している男の家に深夜に来るって行動…期待しちゃうぞ。 なんてな。この香苗の行動から思うに、香苗にとっちゃ、俺は『男』ではないんだろう。 少なくとも今現在は。 安心してんだか何だかわからんが、いい度胸だな! 俺はちょっとばっかし戦闘態勢に入っていた。 アパートに入ると、うちの猫、『姫』は部屋の隅に置いてある小さなソファーにいた。 肘掛に頭をしな垂れかけるようにして寝そべっていた。…やけに優雅なポーズ。 ご主人様のご帰還なのに、軽くニャンと鳴いただけで出迎えようともしない……偉そうだな。 香苗は姫を見て、俺を押しのけて部屋に上がりこみ、黄色い声を上げる。 「可愛いーー!」 姫の頭をしきりに撫でる。姫も俺に対する態度と違い、愛想を振りまき、気持ち良さそうに目を細めている。 …お前ら気が合うな…。 「洋介!ビールとつまみ持って来て!」 香苗は姫の隣にどっかりと座り、俺に指示する。 「はいはい…。ビールとつまみですね…。」 姫に餌もやらなきゃな。一応朝ごはんの後、煮干を少量、姫用の皿に入れ、部屋の隅に置いておいたんだが、あれだけじゃ足らないだろう。 俺は冷蔵庫の中からビールを取り出し、それとおつまみになりそうな蒲鉾とキムチも用意する。 後は、姫のご飯は…また煮干でいっか。 俺、結構自炊もするので食べ物は揃ってるんだ。 俺と香苗と猫一匹で3次会が始まる。 |
2002.12.29 ⇒
| 今年もあと少しで終わりですね・・・。でも実はこのお話、春から夏にかけての話です(爆) |