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悟はもう一度少女の方へ目を向ける。少女はまだ座り込んだままだった。
「俺、そっち行っても平気か?」 先ほど怖がられた手前、迂闊に近寄ることができずお伺いを立てる。
少女は答える代わりに頷いた。
ゆっくりと少女の許へ行き、尋ねた。 「何でこんなトコ来たんだよ。」 この辺はさっき奴らの溜まり場なのだ。奴ら以外にはめったに来る者はいない。
少女は何も言わず俯いていた。制服の白いブラウスや紺色のスカートは所々土で汚れていた。
男達に殴られたので、唇の端から血が出ていた。膝も擦り剥けて酷い状態だ。悟はため息をついて、
右手を差し伸べた。
「保健室、行こう。」
少女は、その手を一瞬見つめたが、完全に無視して自力で立ち上がった。
<可愛くねー女!> 悟はちょっとムカッときた。悟にしてはとても気を使った行動だったわけで…行き場のなくなった右手を
ちょっとだけ見つめた後引っ込める。
少女は無言のまま、怪我した方の足を庇いながら校舎に向かって歩き出した。悟も行きがかり上、
放っておくわけにもいかず、少し後から付いて行った。歩きにくそうにしているので手を貸したいとは
思ったが、少女は悟のことを見ようともせず、全身で思いっきり拒絶している雰囲気がある。結局何も
できないまま、歩いていた。
<…この女、見覚えあんだけど、誰だったっけなー> もともと必要なこと以外記憶しない悟。少女に見覚えがあるのに、クラスメートでないことくらいしか わからなかった。
背が150cmあるかないかくらいで、ちょっと痩せ気味の小柄な少女。肩くらいまである綺麗な黒い髪を、
2本に結わいている。
<笑ったら、可愛いだろうな…> そう思わせる顔立ちだった。長いまつ毛と優しげな瞳。ただとても影のある表情だった。
弱々しく、大人しそうな少女。俯き加減で歩く姿はとても暗く見える。先ほどのようなことがあった後だ。 元気でいろと言う方が無理なことなのだが…。
運良く保健室の先生が未だ残っていて、少女の手当てをしてくれた。
「中山さん。どうしたの?この怪我。」 先生は優しげな声で、尋ねた。
少し離れたところで様子を見ていた悟。少女と先生の会話から、彼女が『中山春香』という名前で、 隣のクラスだということが判明した。
<同じ学年の、しかも隣のクラスなら見覚えあるわけだよな> そう納得しかけたものの…やっぱり、もっと違う理由で彼女のことを見たことがあるような気がした。
「何の怪我なの?」と、問い詰められたが春香は何も言わなかった。
先生は悟に<君は知らないの?>という視線を送ってきた。 悟は迷ったものの、春香の様子を見ていると言ってはいけない様な気がして、首を横に振って <知らない>と、嘘をついた。
「たまたま彼女が蹲っている所に通りかかっただけです。」 「本当に?」
春香は、悟と先生の様子を見て、小さな声で言った。
「転んだだけです…。」
先生は、半信半疑で春香を見つめていたが、それ以上何も聞かなかった。
<何か言えない事情でもあるのかな> 事実を話さなければ、あの男達はお咎めなしになってしまう。でも、少女の頑なな様子を見てたら、 悟も事実を話せなくなってしまった。
怪我もたいしたことなく、悟と春香は学校を後にした。向かう駅が一緒なので、同じ道を歩く。 悟は、自分より数メートル後ろを歩く春香のことがどうも気になって仕方がない。
立ち止まり振り返る。
「…なあ。本当のこと、何で言わなかったんだよ。」
悟の声に反応し、春香も足を止める。
しばらくの間、黙っていた春香だったが、再び歩き出し、悟とすれ違う時口を開いた。
「言ったって、何も変わらないもの。」
小さな声だったが、ハッキリと春香の意思が込められていた。
諦めと拒絶。 悟は、そう感じ取った。
「今日は助けてくれてありがとう。」 そう言い残し、自分を通り過ぎて先を行く春香の背中を見つめて、悟はしばらくその場を動けなかった。
誰も信じない。春香の後姿は、そう語っているようだった。
「わけわかんねぇ…。」 そう呟いて、ため息をついた。 悟の足元で、クロは鼻をヒクヒクさせながら春香の方を見つめていた。
次の日、悟は授業の合間の休憩時間にトイレへ行った時、春香の教室の前を通りかかった。 ドアが開いていて教室の中の様子が目に入る。友達同士で固まって楽しそうに騒ぐ生徒達の中で、 一人ぼっちで座っている春香の姿が目に留まる。
身を縮め、じっとしている。それはまるで、誰の目にも留まらないように、自分の存在を一生懸命隠して いるようだった。
悟はちょっと首を傾げその様子を見ていたが、すぐに自分の教室へ戻った。…が、いつもベッタリ くっ付いているクロの姿がないことに気が付き、直感的に春香の所だと思った。
<ったく> 幽霊犬なんぞ放っておいてもいいかと思ったが、いなきゃいないで気になるので 再び隣のクラスに足を運んだ。 と、案の定。クロは春香の横で尻尾を振りながら、顔を覗きこんでいた。春香は当然気が付くはずない のだが…。
<まてよ…> 悟は突然思い立つ。 クロが春香を気にするのは何か理由があるのかもしれない。もしかしたらクロの正体や何故幽霊なんか やっているのかの謎が解けるかもしれない…そう閃いた。
悟は躊躇いもなく教室に入り、春香の前に立った。
気配で気が付いた春香は顔を上げ、悟の顔を見て目を見開いた。
「なあ、聞きたいことがあんだけど。」
悟はごく自然に声を掛けたのだが、まず春香の責めるような視線に気が付き、次に教室中の 視線が自分と春香に注がれていることに気が付いた。
視線…というよりみんなの意識が自分達に向いている…そんな居心地の悪さを感じた。ただ単に
違うクラスの男子が女子に話し掛けているから注目しているのではなく、好奇心の中に悪意
をこめたような目で2人を見ていた。
<何だよこいつら。感じワリーな> 悟は思い切りそんな気持ちを込めて教室中に視線を投げ返す。
ガタン!
突然春香が立ち上がり悟の腕を掴んで逃げ出すように廊下へと出て行った。 クロはのん気なことに、まるで悟と春香と散歩に行くかのように嬉しそうに2人の後に 付いていく。
春香は廊下を足早に歩き、外にある非常階段へと悟を引っ張って行く。 人がいないことを確認し、春香はため息をつく。
「おい。どうしたんだよ。」
悟はわけがわからず春香の後姿に問いかける。春香はクルンと振り向き、悟を心もち睨むように 顔を上げた。
「何の用ですか?」 小さな声だったが、少し怒りがこもっていた。
<何か悪いことでもしちゃったのかな>
そう感じさせられるほど、春香の態度は苛立っていた。 悟は自分が鈍感で配慮が足りないことを自覚していた。だから気が付かないうちに また何かやらかしてしまったのかと思い、恐る恐る聞いてみる。
「話しかけちゃいけなかったのか?」 「…用件を早く言って。」
とにかく悟との話を早く終わらせたいらしい。
<とりつく島もない返事だな> 悟はポリポリと右手人差し指で頬をかいた。
「えっと、中山さん…だったよな。あんた、黒い犬知らないか?」 「犬?」 「ああ。雑種の中型犬なんだ。毛は長めで…。ちょっと…つーか、かなり気弱そうな犬なんだけど。 名前は多分クロ。」
悟は足元で尻尾を振っているクロをチロッと見てから外見を説明する。
「クロ…。」 名前を呟き、しばし考え込んでいた春香。
「…あ。」 「何だ?知ってんのか?」 「知ってるうちに…入らないと思うけど…。」 「何でもいいよ。教えてくれ。」
春香は少し迷った後、俯きながらポツリポツリと話しだした。
「…友達が、以前クロって名前を言ってた。」 「誰だ?そいつ。」 「でも、犬の名前かどうかもわからないし、クロなんて名前何処にでもあるから…。」 「いいから教えろよ、誰だよそいつ。」 「3年の…川田…川田尚也先輩…。」 「川田尚也…て、あの川田!?」
何故『あの』なんて言葉を付けてしまったのかと言うと、川田尚也は昨日春香を襲った悪ガキ達に負けず 劣らず学園内で恐れられている存在なのだ。喧嘩で99人病院送りにしていて、誰が100人目になるのか みんな密かに予想を立ててるほどだ。さすがにこれはただの噂だろうが、そのくらい『怖い奴』として
認識されている男なのだ。
<中山と川田尚也が友達?>
あまりに不釣合いな2人。友達同士と言われて驚いてしまう。 悟はそんなことに考えを巡らせていて、ふと顔を上げると春香が責めるような鋭い目つきで 自分を睨んでいたことに気が付いた。
「もう行ってもいい?」 春香の声には少々棘があった。 悟は慌てて引き止める。まだ聞きたいことがあった。 「あ…いや、その川田尚也はクロのことどんな風に言ってた?」
「…以前川田先輩の制服に黒い動物の…多分犬か猫の毛が付いてて…それを取ってあげたら 『ああ、クロの毛か。』って呟いてた。」 「そっか。じゃあ川田尚也に聞けば、それが犬かどうかわかるな。後で会いに行ってみよう。」 尚也に会うのは少々怖い気もしたが、もう少しでクロの謎が解けそうで、悟はちょっとワクワクしていた。 そんな悟の期待を春香が硬い表情で打ち消した。
「川田先輩。今日学校来てないから会えない。」 「え?なんだ。サボってるのか。」 尚也はしょっちゅう学校を抜け出したりサボったりしていたのでごく自然にその言葉が出て しまった。
春香は悟の言葉を聞いた瞬間、強い口調で抗議の言葉を口にする。
「違う!きっと学校に来れないわけがあるのよ!」 先ほどまでの小さな声とは違い、悟を睨みながらハッキリと言い切った。
瞳を涙で潤ませて、悲しみと怒りとか入り混じった顔。
悟は春香の様子に驚き、戸惑いながらも何とか言葉を搾り出す。
「おい、中山…どうしたんだよ。」
尚也が学校に来ていない…そう聞いたら誰だってまず『サボり』だと思うだろう。それくらい普段の 生活態度が悪いのだ。まあ、遅刻魔の悟だって人のこと言えないのだが…。寝坊して慌てて学校に来て 先生に素直に怒られまくっている悟と尚也とではレベルが違う。
「川田先輩。もう一週間以上学校に来ていないの…。家にも帰ってないの!」 「え?」 <家にも帰ってないって…> 何でそんなこと、春香が知っているのか…まずそのことが気になった。
「なのに先生も川田先輩の家族もみんな気にも留めていない!」 春香は瞳から涙を落とし、まるで今まで溜め込んでいた気持ちを一気に吐き出すように 悟に投げつける。
<な…泣いてる…?> 悟は春香の涙を見て、完全にうろたえてしまっている。
「『どうせろくでもない仲間の所に行ってんだよ。家出は日常茶飯事だしな。』『女の所に転がり込んで いるんだろ。』『フラフラ遊びまわっているに決まっている。心配していたらこっちが損だ』…みんな彼の ことをそんな風に言う!どうして?」 春香の声は心を映しているかのように悲しさと絶望を感じさせた。 全ての者への怒りを悟にぶつけていた。心のどこかで八つ当たりだとわかっていても今の春香には 言葉を止められなかった。
<そんなこと俺に言われても困っちまうよー> 悟は少々逃げ腰になり心の中で叫ぶ。
「彼は家出なんかしていない!学校にだって、きっと来たくても来れないのよ!」 春香の確信をもった言葉。 とても真剣な目。 泣きながら本気で川田尚也のことを心配していた。
<中山…>
悟は困惑しながらも春香が落ち着くまで何も言わず言葉を受け止めていた。
クロも、春香には見えないが必死に彼女に縋りつき<泣かないで>と尻尾を振っている。
春香は悟を責め続け悟は春香の気持ちを受け止め続け…2人はチャイムが鳴ったことにも
気が付かなかった。
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