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魔法使いの恋F

夜、電話の呼び出し音が鳴る。
奈美江は、お風呂から出たばかりで、慌てて服を着て受話器を取った。


電話の主は、政博だった・・・。
電話の向こう側の気配から、どうやら公衆電話からかけている様だった。



『こんな時間に申し訳ない。』
「・・・いえ・・・。どうしたんですか?」
奈美江は、少し緊張した声で尋ねた。
何せ、咲子の子供のことを言ってしまってから、奈津子とも政博とも話をしていないのだから・・・・。

『悪いけど、頼みがあるんだ。』
「何でしょうか・・・。」
『咲子・・・林さんの勤務先と自宅の連絡先、教えてくれないかな。』
以前の携帯の番号は、今は使われてはいなかったので、連絡の取りようがなかった。
どうやら咲子は、再会した日の後、携帯電話を別の物にしたらしい。

奈美江は、政博の言葉に、一瞬言葉が詰まり・・・その後、不安そうに聞いた・・・・。

「・・・林さんに会うつもりなんですか・・・?」
『・・・・うん・・・。』
「あの・・・あんな話を突然持ち込んだ張本人の私が言うのも何なんですが・・・・
奈津子とは・・・奈津子とは話し合ったんですか・・・?」
『・・・・・いや・・・。』

奈美江はため息をついた・・・。
政博の性格から言って、多分そんなことだろうと思っていたからだ・・・。

「政博さん・・・私のせいだって言うのは良くわかっています・・・。申し訳ないとも思っています。
でも・・・・でも、奈津子のこと、どうかよろしくお願いします・・・・。」
奈美江は必死に訴えた。
『・・・・・・・・・。』
「奈津子を一人ぼっちにしないで・・・・・。お願いします・・・・。」
『わかってる・・・。わかっているけど・・・僕もどうしたら良いのかわからないんだ・・・。』
「・・・林さんに会ってどうするつもりなんですか?」
『それもわからない・・・。でもいつかは会わなきゃいけないと思うんだ・・・。』
「・・・・・・確かに・・・そうですね。」

この後も歯切れの悪い会話が続いた。

カチャ・・・・。
政博は奈美江との話を終え、静かに受話器を置き、
しばらく、電話ボックスの中でぼんやりと立ち尽くしていた。

<・・・会えば、自分がどうしたいのか、わかるかもしれない・・・>
<・・・咲子が何を望んでいるのか・・・わかるかもしれない・・・>


ただ一つわかっていることは・・・・。
<子供に会いたい・・・・>
自分の子供に会いたいと・・・その気持ちだけは、わかっていた・・・。


政博は、電話ボックスのドアを開けて、ゆっくりと外へ出た。
ひんやりとした夜の空気に少し身を震わせた。

そして、奈津子の待つ家へと歩き出した。


「ただいま。」
政博がドアを開けると、すぐに奈津子が玄関に出迎えた。

「お帰りなさい。今日は遅かったね。」
微笑みながら、鞄を受け取る奈津子。
「急な仕事が入って、残業したんだ。お腹空いた〜。」
切なそうに空腹を訴える政博を見て、奈津子はクスクス笑う。
「すぐに用意出来るから、安心してね。」
「じゃあ、これ以上お腹が減らないように大人しく待ってるよ。」
そう言って、コートを脱ぎながら、廊下を歩いて行く政博の背中を見つめる
奈津子の顔からは、笑顔が消えていた・・・・・。











次の日のお昼休み。

健太郎は、空いている会議室で一人、出来合いのお弁当を食べていた。
いつもは誰かしらと外へ食べに行っていたが、客先から戻ってきた時間が
お昼過ぎていたために、みんな食べてしまった後だったのだ。


ふいに、ドアの開く音がして、そちらに視線を向けた。

「田中君・・・。お茶持ってきた・・・。」

咲子が、ぎこちなく微笑み、入ってきた。


健太郎は、一瞬戸惑ってしまい、自分の前にお茶が置かれるのを目で追っていた。

「・・・ありがとうございます。」
小さな声でお礼を言った。

咲子は、真正面の席に腰を降ろし、健太郎を見つめた。
健太郎は、どこか居心地の悪さを感じ、口に入れようとしていたコロッケを
元の位置に置いた。そして、首を傾げて、<何でしょうか?>と、目で訴えた。
咲子は神妙な面持ちで、言葉を口にした。

「田中君。」
「はい。」
「明日・・・・・待ってる。」
「・・・え?」
「あのデパートの前で、待ってる。」

あのデパート・・・。
咲子の想い出の場所でもあり、健太郎の想い出の場所でもある。

「あの・・・・・。」
「貴方と話がしたいの。」

健太郎は困惑気味に答えた。
「でも・・・残業するかもしれないし・・・。」
「来てくれるまで、待ってるから。」

咲子は、それだけ言って、早々に席を立った・・・。

健太郎は、事態を飲み込めず・・・ぼんやりと咲子が出て行くのを
目で追い、一人残された後も、しばらくドアを見つめていた・・・。

咲子は、場所だけを指定して・・・時間は約束しなかった・・・。
・・・来てくれるまで待つつもりだった。






その後、咲子と健太郎は事務的な会話はしたが・・・それ以外の話はしなかった。

健太郎は、断る理由を探していたが・・・どこかで<行きたい>とも思っていた・・・。

『あのデパートの前で、待ってる。』・・・そう言った時の咲子の瞳。
<・・・林先輩・・・真剣だった・・・・>

もう一度、信じたいと思った・・・・。
わかり合えるって・・・心のどこかで信じていたかった・・・・。

でも、怖くて・・・そんな気持ちが健太郎を迷わせていた・・・・。







終業時刻になり、咲子はタイムカードを押して営業所を後にした。
駅へ向かって歩き出すと・・・突然、後ろから名前を呼ばれた。

「咲子。」


咲子は、その声に・・・・足を止めた。

懐かしい声。


ゆっくりと振り返ると・・・・・・政博が立っていた。






「久しぶり・・・。」
政博は、どういう顔をしていいのかわからず、戸惑いながらも微笑んでいた。

「こんにちは。」
対する咲子は、自分でも驚くほど、自然な笑顔で政博との再会を迎えることが出来た。

過去の自分に恐れていた・・・・。
政博を前にした時、また昔の嫌な感情に支配されるのが・・・・ずっと怖かった。

でも・・・。

咲子の心の中は・・・とても冷静だった・・・・。



2人は、落ち着いて話をするために、近くの喫茶店に入った。
注文したコーヒーが運ばれてきて、一息付いた後、政博が話を切り出した。

「あまり、驚かないんだね・・・。」
「貴方に優子のことを知られたってわかってから、もしかしたら
こういう時が来るんじゃないかと思っていたから。」
「そうか・・・。」
「初めに言っておくけれど、優子は私が育てていきます。だから、認知だとか、言い出さないでね。」

政博は、言おうと思っていた言葉を先に出されてしまい、戸惑った。
そして・・・意を決して、聞きたかったことを口にした。
「・・・何で・・・子供のこと・・・言ってくれなかったんだ?子供を身篭ったってわかった時に
・・・何で言ってくれなかったんだ?」

<あの時の貴方に・・・そんなこと言えなかった・・・・>
奈津子のことで、苦しんでいた政博に、咲子は何も言えなかった。
あの時の、ぼろぼろの政博には・・・・どうしても言えなかった。
そんな、苦しかった感情を・・・『何で言ってくれなかったんだ。』と、言われてしまうと
咲子は苦笑いするしかなかった。


「・・・そんなこと、聞いてどうするの?」
咲子はクスっと笑って、ちょっと意地悪な言葉を続けた。
「言ってくれてたら、未来が変わってたとでも言いたいの?」
「・・・・ああ。」

咲子は、少し寂しそうな微笑を浮かべた。
「やめてよ。そんなこと言うの。」
「咲子?」
「貴方はあの時、私ではなく、奈津子さんを選んだ。貴方は、私を選ばなかった。
その事実だけで充分。他の未来なんてありはしない。」
「・・・・・・。」
「変わってないわね。政博さん。・・・その、優しいけど、残酷な所。」
「・・・残酷・・・?」
「・・・奈津子さんと、ちゃんと話、したの?」
政博は、一瞬目を見開いて・・・苦笑いして首を横に振った。

咲子は小さなため息を付いて微笑んだ。
「やっぱりね・・・。」
「・・・正直言って、どうしたら良いのかわからなくて・・・。」
「どうしていいのかわからないのは、奈津子さんも一緒だと思う。」
「!」
政博は、ハッとして咲子を見つめた。
咲子も、政博の瞳から目を逸らすことなく、真っ直ぐに見つめている。
「奈津子さんは・・・多分、貴方と同じくらい・・・・ううん、それ以上に不安に思っていると思う。
奈津子さんが手首を切った後の・・・貴方からの電話を待っていた時の私みたいに。」

政博は、返す言葉を探すことが出来ずにいた。
真っ直ぐに自分を見つめている咲子の話しを、ただ受け止めていた・・・。


咲子は、柔らかな微笑を向け、静かに話を続けている・・・・。
「・・・政博さんと奈津子さんを混乱させている張本人の私に、
こんなこと言われたくないと思うけれど・・・・
奈津子さんを一人ぼっちにさせないで。」

そう言った後、ニコッと笑った。
「ねえ、政博さん。」
「え?」
「政博さん。貴方は、誰が好きなの?誰を愛しているの?」
政博は、咲子の言葉に・・・目を見開いた。

「僕は・・・。」

政博の心に奈津子の笑顔が浮かぶ。
政博の心の中には・・・今は奈津子が住んでいる。
自然にそう思えた。
いつの間にか肩の力を抜いて・・・奈津子の傍にいたいと思う自分を感じていた・・・。

咲子はクスクス笑った。
「大切な人、置き去りにして・・・一人だけで散々悩んで。奈津子さん・・・
たまったもんじゃないと思うわよ。」
「でも、咲子のことも放っておけない。」
「負い目?罪悪感?」
「・・・・・・・・・・・。」
「貴方は・・・優しいけれど、残酷よ。」
「咲子・・・。」
そんな政博の優しさは・・・昔、咲子のことを傷つけ、今、奈津子を傷つけている・・・・。

「負い目も罪悪感もいらない。愛してくれなきゃ、嫌だもの。」
咲子はニコッと笑った。


「・・・僕は・・・・。今は奈津子を愛している・・・・。」

「じゃあ、早く奈津子さんの元へ行って、彼女と向き合わなきゃ。」
「・・・・咲子。」

政博は、小さなため息を付いて・・・微笑んだ。

「・・・咲子の気持ちは、わかった・・・。」
<・・・そして、僕自身の気持ちも・・・・>

「僕は、奈津子を幸せにしたい。」
「うん。」
「ただ・・・。僕の子供・・・優子ちゃんには・・・会いたい・・・・。」

咲子は、切なげに訴える政博の瞳を見てから・・・少し目を伏せて小さな声で言った。
「・・・うん・・・・。そのことは・・・・私から貴方にお願いしたい・・・。」
「・・・え?」
「・・・優子に、貴方のことを話す日がもうすぐ来ると思う。もう随分色んなことがわかるようになったもの。」
「咲子・・・。」
「優子に、貴方のことも、私の気持ちも、全部話すつもり。・・・それは前から決めてた。」

その時。優子がどう思うのか、正直言って怖い。
でも、あの時の咲子は、一生懸命政博のことを愛し、優子が生まれた時も、とても幸せだった。
何一つ、後悔なんかしていない。
政博と出会えたことも、優子という子供を授かったことも・・・みんな咲子の幸せな出来事だった。
隠しておくことなんて出来ないと思っていた。

「貴方には優子のことは一生黙っているつもりだった・・・。
だからもし、優子が貴方に会いたいって言ったら・・・会わせてあげられず
悲しい思いをさせることになる・・・・。そう思うと辛かった・・・。」

そして、咲子は顔を上げた。
政博の目に映る咲子は・・・願いを込めた瞳をしていた。

「もし・・・。もし優子が、貴方に会いたいって言ったら・・・・会う努力をして欲しい・・・・。」
「会うよ!もちろん!」
政博は身を乗り出して答えた。
その言葉を聞いた咲子は・・・辛そうに言った。
「貴方だけの感情で答えないで・・・・。簡単なことではないと思う・・・。
奈津子さんの気持ちを考えたら・・・私はとても勝手なお願いをしているのよ。」

咲子自身が選んだ道。
優子のことは一生隠しておくつもりだった・・・・。
でも、全てを知られてしまった今・・・優子が望むなら父親と会わせてあげたいと思ってしまった。
咲子は、そんな考えは勝手だと・・・そう思いながらも・・・願ってしまう・・・。




政博は・・・真っ直ぐ咲子を見つめ、静かに言った・・・。

「僕は、奈津子と話し合うよ・・・。真正面から、逃げないで、気持ちを伝える。」
「うん。奈津子さんが許してくれたら・・・その時は、優子に会ってあげて。」
「ああ。」
「でも・・・とりあえずは優子がもう少し大きくなって・・・きちんと私たちの話が
出来るようになるまで・・・もう少しだけ待ってて・・・・。」

咲子も、優子と向き合わなければならない時が、もうすぐ来る。
いずれにせよ、時間が必要だろう。
簡単なことじゃない。また傷つけてしまうかもしれない。また傷つくかもしれない。
<でも・・・向かい合う努力をしたい・・・>

咲子は、一度目を閉じ・・・・再び、ゆっくりと開けた・・・。
「あのね、私は今、とても大切に思っている人がいるの。」
「・・・え?」
咲子は・・・何故か自然に話し出していた・・・。

<明日・・・きちんと貴方と向かい合いたい・・・>
健太郎のことを想いながら・・・・言葉を口にしていた。

「・・・とても大切なの・・・。」
「・・・その人と付き合ってるの・・・?」
咲子は小さく首を横に振った。
・・・・咲子の瞳は相手への想いを映していた。


政博は柔らかな微笑を浮かべた。
「咲子は・・・その人のことを愛しているんだ・・・。」
「そうよ。大好き。」
咲子も、とびっきりな笑顔で答えた。





『愛してる。』・・・咲子は、自分の、健太郎への気持ちをその言葉だけでは表現出来なかった。
愛してる・・・・大好き・・・・・そして、それ以上に憧れているのかもしれない。
遠い存在の憧れではなくて・・・とても身近に感じることの出来る憧れ・・・。

<身近だけど、私が手にすることの出来ない物を心に持った人・・・>

その心に憧れ・・・守り、抱きしめたいと想う・・・・。
その心に・・・触れたかった・・・・。


そんな咲子の想いは、政博には伝わらなかったし、伝えようともしなかった。


政博と喫茶店の前で別れ、2人は別々の方向へ歩き出す。



咲子は・・・
政博に再び会うのを恐れていた。
政博と再び向かい合うのが怖かった。
昔の、辛い感情が溢れ出してしまうのを恐れていた。
嫌な自分になってしまいそうで怖かった・・・・。


でも・・・実際会ってみて・・・不思議なくらい自由な気持ちで話が出来た・・・・。

まだ、過去を振り返ると、胸が痛くなったりするけれど・・・
まだ、色んな感情に捕らわれて、切なくなったりするけれど・・・
でも、もう、過去を振り返ってばかりいるのは止めよう。
前を向いて進んで行こう・・・・・咲子はそう決心した。

そして・・・一度も後ろを振り返らす、駅に向かった。


電車に乗り・・・扉に寄りかかりながら、窓に映る夜の景色を眺めていた。

<・・・田中君・・・・・>
咲子は、明日健太郎が来てくれることを願っていた・・・・。

2002.1.1 

元旦UP♪
明けましておめでとうございます〜。