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優しい人

1月4日。
城ノ内邸。


あの日どんなに待っても帰って来なかった賢一。
部屋からは賢一の荷物はなくなっていた。
車も・・・。
優希はため息をついた。
あれから毎日、何回も賢一のアパートに電話していた。
実際にアパートにも足を運んだ。
でも賢一はいない。

「賢一様・・・」
どこへいってしまったの・・・?
朝からずっと居間のソファーに座って考え込んでいた・・・。


ふと・・・以前もらった賢一の名刺を思い出す。
自分の部屋へ行き、オルゴールのフタを開ける。
お気に入りのオルゴール。
このオルゴールには少しだけ物を入れるスペースがある。
想い出のある小物と共に賢一の名刺も入れておいたのだ。
優希は賢一の会社に電話をしてみた。
正月休みを終え仕事初めの日だったので電話は繋がった。
・・・が、電話に出た社員の言葉に愕然とした。

賢一から辞表が送られて来て受理されたという。

優希は電話を切って・・・ぼんやりと立ち尽くしていた・・・。

コンコン

ノックの音がして八重子の声がする。
「お嬢様。お昼の仕度が出来ましたよ・・・」

そう言ってドアを開ける。





「ばあや・・・」


振り返った優希の目から涙が落ちる。
「お嬢様・・・?」
八重子は目を見開いた。
「賢一様・・・会社に辞表を送っていたんです・・・」
「!」
「何でそんなこと・・・・賢一様は何処へ行ってしまったの・・・?」
不安で不安で・・・手で顔を覆い声を殺して泣く優希。


八重子はそんな優希に何て言って良いのかわからずため息を付いた。



昼食後、八重子と優希は居間でお茶を飲みながら何気なくテレビをつけた。

ちょうどニュースがやっていた。
アナウンサーが告げる様々な事件を聞き流していた八重子だったが・・・
ある死体発見のニュースを耳にし画面にクギ付けになった。

その八重子の様子に優希は首を傾げた。
「・・・ばあや・・・?」

優希の呼びかけにも答えずひたすらテレビ画面を見つめる。

そして・・・その事件のニュースが終わると八重子は震える声で言った。
「・・・・お嬢様・・・・賢一殿は・・・・・」



ニュースの内容は
『Kビル建設現場』から1体の死体が発見されたと告げていた。
自ら頭を拳銃で打ちぬいた身元不明の男の死体。
拳銃からは男の指紋しかでておらず引き金を引いたのも男自身。
死亡推定時刻は12月31日の夜から1月1日の朝にかけて。
自殺と他殺、両方から調べられているが自殺の線が濃いようだ。
そして男の顔や体の特徴、服装などの説明がされていた。


八重子は病院で賢一から聞いた『殺し屋』の話を思い出す。

ニュースが告げていた男と『殺し屋』とが八重子の頭の中で重なる。

百貨店で賢一に話しかけていた男もそうだ。だから気になった。

それから様子がおかしくなった賢一。

そして12月31日の夜姿を消した・・・。

部屋に残されていた・・・・僅かに燃え残った紙に書かれた『Kビル建』の文字。

ビルの所在地も紙からわかる冒頭の住所と一致している。


「賢一殿はもしかして・・・・」
『もしこの男がお嬢様を狙った殺し屋だったとしたら・・・・』
八重子は考えれば考えるほど自分の予想が正しいと思い始めていた。
『会社に辞表を提出した賢一殿・・・・・生きて帰れないと思ったんじゃなかろうか・・・』


『何らかの理由でこの殺し屋を殺さなければならなくなったんじゃなかろうか・・・・
賢一殿が殺し屋なんかに勝てる方法はただ1つじゃ・・・』


八重子は以前聞いた賢一の不思議な『25時間目』の時間のことを思う・・・。
未来を変えてしまったために賢一が苦しむ姿も見てきた。
このところずっと体調を崩していたことも知っている。
2回もその力を使い救ってくれたからだ・・・・。
もし・・・その力を使って人の命を奪った場合・・・・その代償は?
ただでさえ賢一の体は悲鳴を上げていた。
今回どれくらいの未来を変えてしまったのか・・・・その代償を払いきれるのか・・・・。


蒼白な顔で黙ったままうつむく八重子に優希はどうしようもなく不安を感じる。

「ばあや・・・?」


『・・・賢一殿が殺し屋を殺さなければならなくなった理由なんて・・・たった一つしかないじゃろう・・・』
心の中で呟いた。

八重子は顔を上げ、自分を見つめる優希の瞳から目を反らさず重い口を開いた。
・・・・静かに・・・今自分が思ったことを告げる。
























年が明けてから1週間が経った。
優希は八重子の話を聞いてからというもの
1日中ジョルジュを連れて『Kビル建設現場』周辺を歩き回っていた。

この日も始業式が終わりすぐにここへきた。
紺のブレザー姿。制服のままだ。

ずっと賢一を探していた。

どこかで倒れて動けないでいるのかもしれない。

どこかで助けを求めているかもしれない。

賢一の姿を探しオフィス街をさ迷う。

・・・と、ジョルジュが何かを感じたように顔を上げた。

ビル街の中に公園が見えた。

ジョルジュはそこへ向かって駆け出した。

「ジョルジュ?どうしたの?」
優希も慌てて後を追う。人の流れをすり抜け走って行くジョルジュに追いつこうと必死で走った。



迷わず公園へ走りこんで行くジョルジュ。
優希がその公園へ足を踏み入れたのはその30秒後くらいだ。

息を切らして公園内を見渡しジョルジュを探す。

公園はあまり広くなく、中央に噴水があり、ちょっとした花壇とほんの少しの緑があった。
昼休みも終わってしばらく経つので人の姿も少なかった。
いくつかのベンチがあり・・・・そのうちの1つに人が座っていた。
ジョルジュはその人の所で嬉しそうに尻尾を振り前足をベンチについて身を乗り出している。

優希は目を凝らした。

ジョルジュに顔を舐められ、困ったように、でも嬉しそうに微笑むその人は・・・・。



「・・・・賢一様?」


そう思った瞬間、優希は駆け出した。
ずっと探していたその人の元へ。
その姿もその笑顔も
間違いなく賢一だった。
















「お前、そんなに舐めるなよ・・・」
突然犬が寄ってきて驚いたが
男はこの人懐こい犬が何故かとても懐かしかった。

「・・・賢一様・・・・」

誰かに名を呼ばれ顔を上げる。
『川辺賢一』・・・・・・財布の中に入っていた免許証で確認した自分の名前。


男の目の前に立つ少女。

男は・・・目を見開いた。
・・・その少女があまりに可愛かったからだ。
男の目にはその少女はまるで天使のように映った。

「君は俺のことを知っているのか?」
「・・・え?・・・賢一様?」
「ごめん。俺にはわからないんだ・・・。君が誰なのか」
「賢一様・・・」
「・・・自分のことすらよくわからないんだ・・・」
男の言葉に少女はショックを受けたようだった。

胸が少し痛む。
でも仕方がないんだ。
本当に自分自身の事だって何もわからないんだから。
そんなふうに思いもう一度少女に「ごめん」と詫びた。


男は1週間前ビル街の狭い路地で目を覚ました。
真夜中・・・・
何故自分がそんな所にいるのか
何故体が痛むのか・・・・・・・
何より自分が一体誰なのか
そんなことすらわからなかった。

男にある『想い出』と呼べるようなものは
この1週間、オフィス街をさ迷っていたことくらいだ。

1度だけ、免許証に書かれた住所に行ってみた。
アパートの『川辺』と書かれたドアに、コートのポケットに入っていた鍵を差し込む。
ドアは開いた。
部屋の中に入っても・・・・そこは全然知らない空間で。
確かに自分の部屋のはずなのに・・・・。
男は居たたまれなくなった。
その時電話が鳴り、その場から逃げ出した。

それからずっとこのオフィス街にいる。
財布に入っていたお金で何とかその場をしのいでいた。



男は何もわからないまま・・・それでも何かを探していた。
自分自身を知りたいと思うよりも・・・もっと大切な何かを探していた。

でも、それが何なのかもわからなかった。


何の想い出もない自分。
男は、何故かそんな自分を不幸だとは思っていなかった。












「賢一様・・・」
優希は賢一の言葉を聞いて悟った。

賢一が未来を変えてしまったために支払った代償。
賢一自身の記憶。
34年間分の掛け替えのない想い出。
2度と取り戻せない大切な宝物。


「君は・・・・・『川辺賢一』のこと知っているんだよね?」
賢一は優希を優しげな眼差しで見つめる。
「・・・はい。知っています・・・」
「『川辺賢一』ってどんな人間だったんだろう・・・」


優希が知っている『川辺賢一』。

『俺は『人を信じる』ことが苦手なんだ・・・・』
寂しそうにそう言った。

『・・・信じるとか優しさとか・・・・俺にはよくわからないんだ。でも君といると俺にもわかるかも
しれないと思ったんだ・・・』
辛そうにそう言った。

でも・・・優希は知っている。

「賢一様は・・・・」

優希の声が震える。

















少女が瞳に涙を浮べ『川辺賢一』という今は何処にもいない男の話をする。

男は黙って聞いていた。

「賢一様はとても優しい人でした・・・・・」
少女は微笑み・・・その瞳から涙が落ちる。

少女の澄んだ瞳。
優しくて温かい・・・綺麗な瞳。



男はその瞳を見てとても安心したように微笑んだ。
男にとってそれが何よりも大切な物のように思えたから・・・・・。

END
2001.9.12